永六輔『商人』岩波新書
客が買う気になる値段で、こっちが儲かる値段。これを決めるのが商売のコツだんな。
金を借りるのは、相手をなめてかかれる自信のあるときにしなはれ。かならず借りられま。
つくるのは、努力をすれば誰でもできますが、売るとなると、才覚がありませんとね。
お客様は常に正しいのです。もし、お客様が間違っているとします。それは間違っていることが正しいのです。
わてら商人はお客様に頭を下げているんとちゃいます。お客様のくださるお金に頭を下げてるんですわ。
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客が買う気になる値段で、こっちが儲かる値段。これを決めるのが商売のコツだんな。
金を借りるのは、相手をなめてかかれる自信のあるときにしなはれ。かならず借りられま。
つくるのは、努力をすれば誰でもできますが、売るとなると、才覚がありませんとね。
お客様は常に正しいのです。もし、お客様が間違っているとします。それは間違っていることが正しいのです。
わてら商人はお客様に頭を下げているんとちゃいます。お客様のくださるお金に頭を下げてるんですわ。
買掛債務回転期間=期末(支払手形+買掛金)/1カ月当たり仕入高
森脇彬『経営分析実務相談』
■防御戦の原則
■攻撃戦の原則
■側面攻撃の原則
■ゲリラ戦の原則
重田修治『日本一わかりやすいマーケティングの教科書』
ハートマネーを蓄積すれば、いやでもリアルマネーはついてくる。
老舗とはただ古い格式の上にあぐらをかいているのではありません。変わらないように見えて、絶えずハードルを越えているのです。しかも、ただでさえ高いハードルを自分たちで上げていっているのです。これが、老舗が老舗たるゆえんであり、一流店が一流店であるゆえんなのです。老舗や一流店ほど基本がしっかりできているということです。
本当のサービスとは、サービスしていることを見せずにするものなのです。
外資系航空会社の客室乗務員の彼女は、お子さん連れのお客さまの場合、そのお子さんにどう接するかは、ご両親の接し方を見てから決めるそうです。
他社の製品を買う、サービスを受ける時に気をつけていただきたいことがあります。それは、他社のあら探しをするのではなく、ぜひともよいところを探してくださいということです。
小さな文句をたくさんいったあと、ぽつりと真顔で、もっと大事な注意を与えてくれるのが大阪のお客さまの特徴です。「兄ちゃんな、床ちゃんと拭いとけよ。すべるで」。
私はお客さまの「すみませーん」は、「あなたたち気が利きませーん」といっているのと同じだと解釈しています。
会社に入れば、根源的にこれは正しい方法だろうかどうだろうか、という問いを発するチャンスは、もう既にそこには存在しない。企業人であるからには、そういうことは考えないほうがむしろ、組織としての良き一員だというふうに規定される。「こうやれ」といわれたら、もうそれをせっせとやるよりしようがないわけです。
若いときに仕込みをしなかった人は、そこで圧倒的に若い頃の「ツケ」を支払わされる。
「この作品研究はこれですべてだね。これ以上は誰も研究できない」。学問を志す者にとってね、これに勝る褒め言葉と励ましはないでしょう。
書評というのはね、基本的に「この本読んでくださいね」というものでなきゃいけない。
全部、自分が分かっている、やれる、というフリしたら、誰もついていかない。
ビジネススクールを出て、支配者として、会社に入ってくる。そうすると、平たちはどうするか。ありとあらゆる手段で、そいつの足、引っ張るわけ。失敗させるためにね。それに負けないために、エリートたちは、さらに猛烈にならざるをえない。一生懸命やるわけ。でも、嫉妬と妨害は、やまない。
少なくとも学者の論文は、引用文献、つまり、注から読むんです。
戦争、始めるのは簡単。誰でもできる。でも、やめるときのことを考えない戦争、全くの初歩的誤り。
山本五十六なんて、全然戦争を知らなかったらしい。
「もし上役が非常にダーティーなら、どんなに優秀であったとしても、即刻その船を捨てろ」と言い切っている。そういうところにいてはいけない。自分もやはり濁って腐ってしまう。
勘違いしないでくださいよ、あなたたちが思いつくようなことはもう誰かが考えているに決まっているんです(上野千鶴子)。
岸田の、日本は「黒船」によってむりやり、強姦されるように「開国」させられた・・・・・
ナンバーワンにならなくていい。オンリーワンになれだぁ? ふざけるな。オンリーワンていうのはその分野のナンバーワンのことだろうが。
「オンリーワン企業」は、イコール「ナンバーワン企業」なのだ。そして逆は、真ではない。ブランドは、双方向が成立しなくてはいけない。「ロレックスといえば、高級腕時計」→「高級腕時計といえば、ロレックス」。(野口吉昭『マーケティングのノウハウ・ドゥハウ』)
経営コンサルタントの成功率は一万人に一人だといわれる。
蔵・・・素直に先人の築きあげた原理・原則を学び理解する初期段階
修・・・学んだ原理・原則を実地に応用してみる段階
息・・・自分のものとなってしまう段階
遊・・・楽しむ心境になる
これからは〝選別される高度のプロ中のプロ〟として活躍しなければならない。
その過半の責任は、ホンモノのコンサルタントを育てようとせず、安易にコンサルタントの使い捨てをしていく企業の側にこそあるのだ。
「初めにココロありき」が大切である。〝志〟が問題だ。〝心〟-精神だけは、最初からしっかりしておかねばならない。
セールスマンはパーソナリティを売る商売。
話すことにも、ときにはユーモアが必要である。世間話にも、常識、教養の豊かさが必要である。
いやなことを言っても嫌われないためには、言うべき場所をわきまえることだ。部下のいる前で弱点を指摘されれば、経営者はメンツを失う。
TPOを考える気転、気働きが必要である。
センスがよいことだ。センスは、コンサルタントの人間的魅力の重要な一側面。
考え方、態度、行動が合理的でなければならない。
コンサルタントの仕事は、つまるところ、他人の幸せを願い、幸せを演出し、創造する仕事である。
個人のもつセンス、スケール、スキルの3Sが重視される職業である。
コンサルタントで最も大事な売りものは〝知識〟ではなく〝判断〟なのである。
経営コンサルタントの仕事は、学問の発見した知識や法則を応用して、その患者の固有の問題を発見し、その問題を解決するために、そのお客固有の具体的プログラムを組み、それを推進するために固有の方法を考えだすことだ。そしてさらに、どこから着手したらよいか、具体的な段取りを示すことである。その患者固有の解決法という〝判断〟を売るのである。
効果の確かな方法を、相手のレベルに応じて、大事なことから順に優先順位を決めて、のみこませることが大事である。
ショウマンシップはビジネスマンに不可欠の要素。ショウマンシップとは、人間を売り込むため、見せ場をつくる、売場を演出すること。
工場へ行けば工員と同じ作業着を着る。つまり、保護色である。
中小企業の経営者の場合、自分の業務についての経験は豊富だが、世間が狭く、世間の情報に疎い。
社名入りの便箋一つにも工夫をこらした。
経営は、試行錯誤の経験科学である。コンサルタントが提供する〝判断〟は、実証的な裏付けをもち、すでに実験ずみの原則による知恵でなければならない。
下三日にして上を知り、上三年にして下を知る。
コンサルタントは、いつでも自信をもって堂々と、しかもさわやかに振舞うことが大事なのである。
素質的に、世の中の森羅万象、何にでも興味と関心をもつ、〝多角趣味人間〟〝触覚人間〟であることが望ましい。
ショウマンには〝雑学〟が必要なのである。
事業繁栄の四C原則
インタビューの成功不成功は、半ば以上事前準備にかかっている。
受付嬢の応対ぶりを観察すれば、その会社のしつけ、社員教育の程度を知る一つの尺度になる。
倒産した会社を調べると、倒産原因の70%が、社長の性格にある。
全面的に相手の話を受け入れ、興味を示す姿勢が肝心である
会社というものは、経営者の能力以上に大きくはならない。
金持のボンボンの最大の弱点をあげれば、他人に対する思いやりがないことだ。
経営は理論でなく、行動。
コンサルタントの仕事量、仕事範囲は、彼のもつ情報量に相応する。
必要とするデータとは、経営方針がまちがっていないかどうか、経営の動きの傾向をつかむ材料となるものである。
一連の数字をみたとき、「オヤ、この数字はあやしいナ」と洞察することができるのは、数字のもつ意味、その原理・原則を知っているからだ。
企業のなかで発生する問題は、同じことの繰り返しがほとんどである。問題はほとんど起こるべくして起こるのであり、その起こり方、起こる原因には、共通のものがある。
コンサルタントはケース・スタディの生き字引きでなければならない。
コンサルタントの売りものは〝知識〟ではなく、その患者固有の解決法という〝判断〟を売るのである。
経営は理論ではなく〝行動〟。
ビジネス上の文章では
集中的に、合理的に、徹底的に。
指導ではなく、経営協力。
生産性は、Ability(能力)でなく、Attitude(態度)である。
個人は群集心理に巻きこまれやすい。
強烈な個性が経営の邪魔をする。
私が本を読むときは、まず気になった箇所にマーカーで線を引いて、ページの端を折っておきます。そして次に読むときは、付箋に気になる単語やキーワードを書き抜いて、それを貼り付けておくのです。
人生二度なし(森信三)。
すごい気迫です。人間はいつ死ぬかわからない。だから、今日自分が創った句が辞世の句になってもいいという思いで芭蕉は俳句というものに向き合っていたのです。
イエスはユダヤ教徒であった。ユダヤ教徒にとっては、昔もいまも、いまわれわれが旧約聖書と呼んでいるものが唯一の聖典なのである。新しく成立した新約聖書と区別するために、ユダヤ教徒以外の人びとが勝手に旧約と呼んでいるにすぎない。
文章は、用いる言葉の選択で決まる。日常使われない言葉や仲間うちでしか通用しない表現は、船が暗礁を避けるのと同じで避けねばならない(カエサル)。
仕事とは、小言や注意やお叱りの集大成なのである。それは、仕事というものの、本来的に抱えている本質なのだ。
男はしばしば、もてる男を、顔がいいからとか、まめだからという形容をしたがるが、女に言わせると、それは違うのだ。
もてる男は、優しい。
男の身分や財産や才能によろめく女もいるが、古代神話に出てくるような、身分も財産も自分で備えた女は、見るべきところを、ちゃんと見ている。ウサギのような、親切にしても何のメリットもないような弱い小動物に優しい者こそが、ヤガミ姫のような、誰もが結婚したがる、いい女に好かれる。ということを、日本神話は、のっけから宣言しているのだ。
古代の上流女性は、男の身分にも、頭脳にも、左右されない。しかし、美と力には左右される。
「バットを地面におかないこと。芝生の水をバットが吸うと、何億分の一の変化があって変わってしまう。それ以上にお父さん、お母さんが買ってくれた道具を大切にして、バット、グローブ、靴を磨くことです」(イチロー)。振り子打法や練習よりも、両親が買ってくれた道具を大事にすることが大切だ。
われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている(セネカ)。
良い問いは答えより重要だ。
科学であろうと芸術であろうと、前のものを否定したり肯定したりする中から「オリジナル」が出てくるのである。
俳聖・松尾芭蕉がいっているではないか。松のことは松にきけ、竹のことは竹にきけ、と。「探す」とは「問う」ことなのである。
お客さまのほとんどはサイレント・マジョリティです。ほとんど何もいわないで去っていく。あるいは何もいわないでほかと比べているのです。だから市場を見たときに私たちが考えなければいけないのは、大多数のお客さまは沈黙しているのだという目でものを見ないと、間違えてしまうということです。
私の研究は完全にイミテーションだ。先輩の学者の模倣しかできなかった。でも、私が心がけたのはリミタシオーン・オジリネール、模倣は模倣でも創造的模倣をしたいと思ってきた。それが私の拙い研究であった(マックス・ウェーバー)。
話をするときは、十を知っていて一しゃべるのではなく、千を知っていて一しゃべるのだ。そうしたら迫力がわく。1時間以内に同じ言葉を繰り返すな。そうしたらボキャブラリーが増える。接続詞を使うな。思想がつながっていないから接続詞が要るのだ。
女性に関する経験知がある男には、まるで磁石に引き寄せられるように次々と女性が集まるものだから、ますます経験知が高まる。しかし、経験知がない男のところにはまったく女性が来ないので、ますますもてない。その差は開く一方だ。これが「恋愛資本主義」である。
ヨン様を敵に回しても、今の日本ではいいことはひとつもないのである。その無駄なプライドを捨てないと、大変なことになる。まごまごしていたら日本女性は根こそぎ韓国男性に持っていかれないとも限らない。
新しいアイデアは、「既存の情報の新しい組み合わせ」。
キーホルダーと携帯電話のストラップにつけられる小型のペン。これで「あ、ペンがない!」という状況はなくなります。
ブログでアイデアを発表する。
いいアイデアほど、一瞬、既存の考えとはズレがあったりするので、いきなり結論をいってしまうと、反論の集中砲火を浴びる。
みずほ証券の担当者は入力ミスの際に表示された警告画面を無視していたという。たぶん、こうした警告は年中出ていて、当たり前のことになっていたのだろう。本来なら非常事態を知らせる警告のはずなのに、人間はそれに慣れてしまうと、それを無視することが普通になってしまう。だが、その慣れが結果的に恐ろしい大事故を招く。これを「オオカミ少年効果」という。結局、どんなに優秀な警告システムが作られていたとしても、いつも警告が鳴っているような状態が続けば、人はそれに慣れてしまい、警告システムの意味はまるでなくなってしまうのだ。
犯人探しは愚の骨頂。
失敗出来の周期性。同じような失敗は二十~三十年周期で繰り返されるという大法則がある。
失敗という授業料を払ったのだから、学べる限りを学び取ることが大事だ。だれがいけない、あのやり方がおかしいというより、今の我々の実力はこの程度だと素直に認め、皆が気付かずにいる雰囲気に気付いてそれを打ち破り、新しい段階に進もうではないか。それが一連の失敗を生かし、次の発展の礎になるだろう。
「隠さない・嘘をつかない・辻褄合わせをしない」の〝三ナイ〟を実行する。
人の生活を支える技術には、変えていいものといけないものがあることである。
失敗学の見地からいえば、将来、同じような原因によって起こり得る臨界事故を防ぐために最も有効な情報伝達方法は、やはり現物の保存をおいて他にないのだ。
シェイクスピアは本物のユダヤ人を見たことがなかった。
わからない本がいつまでたってもわからないというわけでもない。別の本をも読むことによって、前の本がわかるようになる。だから、他の本を多く読むために、今の一冊を速く読むことが重要になるのだ。
キリスト教を知らずに、バッハのすばらしさに感応することはできない。聖書の内容を知らずにダリの絵は理解できない。
ほとんどの大きな文化の根底に宗教がある。もっと正確に言えば、聖書が前提としてある。
コーランを読む前には聖書を読んでおいたほうがいい。なぜならば、コーランは、聖書を前提にした宗教書だからである。
ブッダの言葉は最古経典として知られているスッタニパータにまとめられている。カルトに多くの若者が簡単に勧誘されたのは、彼ら自身が本物を読んでいなかったからである。
何度も注意するが、最初から解説書を読むということは、解説者の見方でその本を読んでしまうという偏りが生じるからである。本はまず率直に読むのが正道である。
ヴィトゲンシュタインの思想の根底にはキリスト教のカトリックがある。
■KFSの見つけ方
小林裕『問題解決力をつける』日本経済新聞社
品質管理図でできることは、品質の維持であって、品質の向上ではない。
問題を解決することによって得られる望みがあるのは、正常性の回復だけで、当該企業の成果達成の妨げとなっていたものが取り除かれるのがせいぜいである。成果そのものは<機会>を開発することのみによって得られる(ドラッカー)。
情報収集の段階では、刑事コロンボの「しつこさ」が必要とされる。
的外れになっている意見もある。しかし本人がそれを一生懸命に真面目に考えて発言している以上、一見つまらないように思える意見のなかにも一分の理があることを忘れてはならない。つまり、「なぜ、そういう発言をするのか」というところにまで思いを馳せることが、問題解決の糸口となるのだ。「なぜそんな見方があるのだろう」「なぜそう考えるのだろう」と、まったく異なった見方や反対意見の背景を探ることによって、それまで考えてもみなかったような事実が浮かび上がることも少なくない。
林達夫は、ジェントルマンとは、自分がプロの腕前を持っているゲームにアマチュアの資格で参加することだと言っている。プロの実力、アマの心構え。
女の世界、女同士の嫉妬なんてかわいらしいもので、男の嫉妬のものすごさに比べたらお話になりません(田辺聖子)。
相手が自慢したいところや自負している部分をくすぐってあげれば、相手は気分がよくなる(パーキンソンの法則)。
http://www.youtube.com/watch?v=BC9yFSfLdao
If you seach you can find the power within
If you have the desire you surely can win
If you try you can rise to the top
Don't look back, no don't ever stop
The light is shining on you so bright
Your time is now start moving with it
Your heart is beating wild tonight
You feel it
And expectation burns like a fire
Your hope is rising higher
※An overnight success
You hold the key to your happiness
An overnight success
You have the power to rise above the rest
You can move any mountain no matter how high
If faith is your friend and you're willing to try
You can cross any river so wide
You can do it believe is inside
Don't let anything stand in your way
You're getting close to reaching your dream
You never know it might be today
You feel it
Expectation burns like a fire
Your hope is rising fire
男は100万人の女性と、1回ずつキスをしたいと思っている。女は1人の男性と100万回キスをしたいと思っている(櫻井秀勲)。
代替案のない否定はすべきでなく、なければ現状に甘んじるしかありません。
あなたにはゴールでも、私にはスタートなの。
48回説明して、それでも部下が聞かなければ、「その人はクビにしなさい」。
http://www.youtube.com/watch?v=XSRFKkgL5-w&feature=fvst
Like a bird on the wire,
like a drunk in a midnight choir
I have tried in my way to be free.
Like a worm on a hook,
like a knight from some old fashioned book
I have saved all my ribbons for thee.
If I, if I have been unkind,
I hope that you can just let it go by.
If I, if I have been untrue
I hope you know it was never to you.
Like a baby, stillborn,
like a beast with his horn
I have torn everyone who reached out for me.
But I swear by this song
and by all that I have done wrong
I will make it all up to thee.
I saw a beggar leaning on his wooden crutch,
he said to me, "You must not ask for so much."
And a pretty woman leaning in her darkened door,
she cried to me, "Hey, why not ask for more?"
Oh like a bird on the wire,
like a drunk in a midnight choir
I have tried in my way to be free.
人間というものは誰でも、自尊心をくすぐられるのは気分の良いもので、それでつい、この「ペスト」に感染してしまうことになるのだ。
リーダーの資質とは、所詮もって生まれた天性のものによるのではないだろうか。だからいくら条理を説いて教えても、所詮は、学べる性質(たち)のものではないのではないだろうか。
やった後で後悔するほうが、やらないことで後悔するよりもずっとましだ(『デカメロン』)。
上司と話すときはタイミングに気をつけなさい。私は上司のみならず先輩や同僚にも、今相手が何をしているのか、またすぐに何かをしなければならないのかを確認した上で、話し掛けるようにしました。
いったん魂(美徳)を売り渡してしまえば、もう取り戻すことができないことは覚えておくべきだ。
あらゆるできごとは「起こるに足る理由」によって起こる。つまり、ただの偶然ではないということだ(ライプニッツ)。
組織の中では、安定と引き替えに個人の自己表現が制限される。
ヒンドゥー教や仏教の考え方では、永続性や安定といったものは幻想であるとされている。
自分の基本原則を曲げてはならない。しかし、その原則は、極端なものであってはならない。
変化ほど安定したものはない(ヘラクレイトス)。
日本では「額面価格の二十倍までを限り、法貨として通用する」と定められている。だから二十円のものを買うときに、一円玉二十枚で支払っても構わない。
本当のお金持ちは金を持つ恐さをよく知っている。
知らない人が詐欺話を持ってくる。知らない人が自分に儲け話を持ってくることはない。
高利回り・高収益で低リスクの商品は世界中に存在しない。
奢られたら、御礼を二回言うのが礼儀。
買った瞬間に物の価値は六掛けになると思っていい。
先が見えないとき、わからないときは、動かないのも知恵。
「請求なければ交付なし」と心得て、必要書類は必ず請求するように。
どんなに親しい人に頼まれても連帯保証人になってはいけないし、連帯保証を頼んでもいけない。
投資も何もしなければ損はしない。そう、誤解を恐れず言えば、「投資をすれば損をする」が実態に近い。
世の中は金と女が敵(かたき)なり。
一〇〇引く一はマイナスなのである。
世の中にパーフェクトはあり得ない。
全員が考え、行動する際の共通のモノサシは「さすが帝国ホテルと言われるために」である。
四つのサービス
何も変わらないためには、すべてが変わらなければならない(『山猫』)。
黙って為替の差益を得ること自体、ルイ・ヴィトンが考える誠実なビジネスの精神に反します。私は、「値段が高いから価値があるというお客様の錯覚を利用することは、誠実なビジネスとはいえない。ビジネスは誠実でなければ長続きはしない」と考えていました。
リアル・ブランドの要件
明確なビジョンと哲学を持って、誠実なビジネスを情熱とこだわりを持って根気強く遂行していく。
人材では、自分の考えを持っている人、独創的な仮説を立てられる人。時代が集団から個に移っていくとき、個に要求されるものは「クリエイティビティー」です。
エジソンは「偉大な発明は九九パーセントの努力と一パーセントのインスピレーションから生まれる」と語ったそうですが、この九九パーセントの努力というものを、私は「問題意識」だと考えています。
商品が売れれば売れるほど重要になってくるのが、アフターセールスサービスです。
これからのブランドに求められる総合力の八つの要素
自分の頭で考え、分析し、他人とは異なる発想を導き出し、結論を得る。結論が出たら、信念を持って実践する。
リアル・ブランドの成功は、「変化しない価値」と「変化する時代に適合するファッション性」とを持ち合わせるという矛盾をいかにして克服するかにかかっていると思います。
ブランドづくりとは、不変の価値を持つと同時に、常に時代を感じさせるという、一見矛盾することを解決することだ(『IDEA HACKS!』)。
何より重要なのは、自分が何を必要としているのかを明確に認識しておくことである。なんでもないことのようだが、これが一番重要なのである。それさえはっきり認識していれば、目次、小見出し、索引を活用すれば、だいたいの見当がつく。
目的先行型インプットは能率はあがるが、能率を上げすぎると欠陥が出てくる。目的に関係しない部分をどんどん切り捨てていけば、自分が設定した目的から一歩も出られないことになるからである。…目的が先行しすぎると、知的インプットは貧しくかつ卑しいものになっていく。
先にインプットには時間がかかるといったが、アウトプットにはそれと比較にならぬほどの時間がかかる。2時間で読み終わるようなちゃちな本でも、書く側は百時間から二百時間くらいかけている。
国立国会図書館が定期的に刊行している『雑誌記事索引』と『大宅文庫の分類カード』が、日本の二大雑誌索引である。固い記事なら前者、柔らかい記事なら後者の索引でたいていのものはでてくる。
どういう専門誌があるかを調べるには、『日本雑誌総覧』、『学術雑誌総合目録』といったレファランス・ブックをあたってみるのが1つの方法。もっと手っとり早い方法としては、その領域の専門家に聞いてみる、専門書店に聞いてみる、専門図書館に行ってみるなどの方法がある。
入門書は一冊だけにせず何冊か買ったほうがよい。その際、なるべく、傾向の違うものを選ぶ。定評ある教科書的な入門書を落とさないようにすると同時に、新しい意欲的な入門書も落とさないようにする。前者は版数の重ね方でそれと知れるだろうし、後者は、はしがきなどに示された著者の気負いによってそれと知れるだろう。
ときどき、初級書、中級書を読んだだけで、いっぱしの専門家はだしの顔をしている人がいるが、そういう人はいずれ大火傷することになる。どんな領域でも、プロとアマの間には軽々には越えられない山があり谷がある。プロをバカにしてはいけない。
一般に官僚は見知らぬ相手にはじめて対した時は、相手を見くびろうとする。こちらが、見くびろうにも見くびれぬ相手であることをキチンと態度で示さなければ、それで終わりである。押しても叩いても何の情報も出てこない。官僚から情報を引き出すためには、次の二点を相手に納得させなければならない。第一に、その情報が存在しており、それが相手の手元にあることをこちらは知っているのだということ。第二に、その情報を秘密にしておくべき理由は何もなく、公開されて当然であるということ。
官庁情報を利用する上で注意しなければならないことは、それが特定の行政目的を達成するために作られた、客観性を装いながらも実は客観的でない資料である場合も多いということだ。最近各官庁とも、一見客観的な資料のみを用いた情報操作に実に巧みになっている。たとえば、農林水産庁が米価を抑制したいと思うときは、米価抑制の論拠となるような数字をもっぱらならべた資料を作成する。その資料をマスコミに流して書かせれば米価抑制の世論作りをすることができるわけだ。
1つ1つのデータは全部正しいが、そのデータ全部をもとに判断を下すことは正しくないということがよくある。盾の一面からだけ採取したデータから盾の両面について判断は下せないということである。だから、この点の吟味にあたって重要なのは、そこに何が書かれているかではなく、何が書かれていないかをよくよく考えてみることである。
普通の企業の調査部は、あくまでもその企業の私的利益追求のための調査部であるから、調査内容が非常に片寄っており、外部の人にも有用なデータというのはさほどないし、またあったとしてもたやすく利用できるわけではない。例外は、銀行と証券会社である。この2つは、その業務内容からして、ありとあらゆる業界に通じていなければならない。またミクロの経済のみならずマクロの経済も把握していなければならない。…ちなみに電力業界全体で作っている電力中央研究所は、日本で最も定評ある調査研究機関の1つである。
こういうときに役立つのは、NRI SEARCHという野村総合研究所が出している情報誌である。誌名は英語だが、中身は日本語。この雑誌は、ありとあらゆる調査報告を紹介するための雑誌である。
最も大切なことは、自分がその相手から聞くべきことを知っておくことである。これはあまりにも当たり前のことで、人に話を聞こうとする場合の当然の前提だから、とりたてて注意を払うべきことではないと思われるかもしれない。しかし、私にいわせれば、これ以上に本質的に大切なことは何もなく、あとは大部分が瑣末なテクニック論である。『問題を正しくたてられたら、答えを半分見いだしたも同然』とよくいわれる。これはまったく正しい。同様に、聞き取りに際しても、聞くべきことがわかっていれば、半分聞き出したも同然なのである。
人にものを問うということを、あまり安易に考えてはいけない、人にものを問うときには、必ず、そのことにおいて自分も問われているのである。質問を投げ返されたときに、『問うことは問われること』という二重構造がはっきり表に出てくる。こわい相手に出会うと、そのうち、どちらが問う者で、どちらが答える者かわからなくなってくる。プラトンの対話篇がその典型だろう。ソクラテスに質問した者は、逆にその質問についてソクラテスから問いただされ、質問者自身の考えが逆に問いつめられていく。
具体的にいえば、第一に、知ろうとしていることが、何らかの事実なのか、それとも事実以外のこと、たとえば、相手の意見や判断といったことなのかを区別することが重要である。
この質問メモは、インタビューをしている間、いつでも目立たぬ形で素早く参照できるようにしておく。つまり、別紙にして持っておくか、ノートあるいはメモ帳の最初のページなど、いつでもめくれるところに記載しておく。
テープレコーダはあまり使わないようにしている。ただし、次のような場合には積極的に使う。後々『言った、言わない』のトラブルがありうると予想される場合。メモとりが物理的に難しい場合(歩きながら話を聞く、車の中で話を聞くなど)。あるいは英語の取材、強い方言の取材、非常に専門的な内容の取材など、あとからテープで聞き直してみないと不安な場合。相手の語り口をそのまま生かすことが有効な場合。現場の雰囲気を記録しておきたい場合などである。
なお、ノートに記録を取りながら、話の進行過程の中で思いついた新しい質問は、素早くノートの欄外にメモっておくとよい。そういう質問は概していい質問なのだ。
どうもスッキリしなかったら、スッキリするまで手を入れる。手を入れるうちに頭が混乱してきて、何がよいのか自分でもよくわからなくなるということがまま起こる。そういうときは、思い切って削る方向で手を入れる。スッキリしない部分は必ず長い文章である。そこでまず、修飾語を取り除き、連文、複文なら短文にし、できるだけ単純で短い文章にしてみる。それでもうまくいかないときは、文章の構造を変えてみる。具体的には、主語を変えてみる。主語を変えれば文章全体が変わらざるを得ない。主語を変えたとたんに、いままで呻吟していたことがウソのように文章が流れ出すということがよくある。もう1つの方法は、動詞的表現の文章は名詞的表現に、名詞的表現の文章は動詞的表現に変えてみることである。文節でも、句でも、文章全体でもよい。どんな文章のどんな部分でも、この書き換えが可能なのである。
さて、とはいうものの、まるで何もなしで書くというのは、私の場合、普通ではない。普通は簡単なメモを事前に作る。メモには2つの目的がある。1つは手持ちの材料の心覚え。もう1つは、閃きの心覚えである。前者は事前に作り、後者は随時書き留める。
どういう文体で書こうかということをすっかり忘れ、自然体で書いたときに、その人の文体が生まれるのである。稀にはピカソの画風のように、生涯の何度かにわたってスタイルが劇的変貌をとげる人が著述家にもいるが、通常は一旦確立された文体は変わらない。より洗練されていくだけである。…文章を要約すれば文体は消えるが情報は残る。
まず削ることを忘れて、自分の納得がいくまで書き足しをする。それからあらためて、どこか削れる部分はないかと、今度は削ることだけを念頭に置いて読み直してみる。書き足しと削りとは平行してやらないほうがよい。この順序が大切である。削りが目的なのに、書き足しをするとは、目的に逆行することをているようだが、そうではない。削りと書き足しは全く別の目的のためになされる。削りは量的削減、書き足しは質的向上が目的である。質の水準を変えずに削ることは可能なのだから、質的向上が求められる余地があるなら、まず、その作業を先にすべきなのである。可能な限り質を上げておいてから、可能なかぎり質を下げないようにして量を減らしていくわけだ。…人は、他人のものは客観的に素早く価値判断ができるのに、自分のものについては、それがなかなかできないということである。だから、削りは人のものを削ることで練習するとよい。」
具体的には、論理学でいう『充足理由律』が満たされているかどうかを確認せよということだ。あることをいうために、それがいえるという充分な理由が示されているかどうかを見よということだ。それを見るためによい方法は、自分が誰かと論争をしている最中なので、スキあらばこちらの弱いどんな部分にでも相手がかみついてくるものと仮定して、もう一度自分が書いたものを読み直してみることである。いっそ論争相手になったつもりで読み直してみよということだ。あるいは、こちらにスキがあれば告訴してやろうと待ちかまえている人がいると想定してもよい。私は何度も告訴されたり告訴されそうになったり、あるいは錚々たる論客と論争を繰り返すことによってこの点だいぶ上達した。
ヴァーバル・ジャーナリズムが、情報の信頼度の低いジャーナリズムの1つの典型であるとするなら、もう1つの典型は、針小棒大ジャーナリズムというか、木を見ただけで森を描いてしまう手法である。よく見られる例は、どこか外国の国にちょっと住んだだけの人が、自分の身のまわりのちょっとした体験から、その国全体を論じてしまう本を書くというたぐいである。…こういう、特殊から普遍を演繹してしまうという大胆なことができる人には女性が多い。
ともかく、読んでいて、これはおかしい議論だと思うものにぶつかったら、まず前提を疑ってみることだ。隠された前提を含めて、前提を全部リストアップしてみるとよい。」
『ジョリクールさんの下男』は、短い芝居で、二十分もかからなかった。だが、その稽古には、三時間近くもかかってしまった。ピタリスは、ぼくにも犬たちにも、同じ事を二度、三度、二十度とくりかえさせた。ぼくは、こうした親方の根気のよさ、そのやさしさにびっくりせずにはいられなかった。長い稽古のあいだ、親方は、一度もおこらなかった。一度も怒鳴りたてたりしなかった(『家なき子』)。
彼は、子供自身に希望と目的を与えることで動機付けをし、競争心を刺激し、子供が同じことを繰り返すのに、自分も根気よくつき合ってやることで、「教育」を達成してゆく。子供を相手にするときは、辛抱強さが肝要だ。
どんな簡単な文章でも、よく知っている単語でも、教科書に載っているものは全部辞書を引いて調べる、というのが語学教師の大切な心得ですから、これを忘れないように。
韓国では荷物を送ることは賭けなんです。割れもの注意と書いても、平気で投げますから。
■業種
取扱商品の種類で分類したもの
(例)書店、宝石店、酒販店、薬局、八百屋、魚屋
■業態
売り方や運営方針などで分類したもので、工夫次第で様々な展開が可能
(例)百貨店、GMS、コンビニ、ディスカウントストア
永島幸夫『売れる売り場売れない売り場』
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