「プロレタリアート」と「ブルジョア」
マルクスとは、プロレタリアートやブルジョアジーということばに独特の意味をあたえて、その思想体系を構成する重要なキイワードとして活用したのであるが、そのことについて考える前にふれておきたいことがある。それは、ことばを吟味することの大切さである。
■プロレタリアートとは、自分の生活を維持する費用を、ただ自分の労働力を売ることによってのみ得ていて、あらゆる種類の資本の利潤からは得ていない社会階級である。その幸福と不幸、生と死、その存在全体は、労働の需要、景気の変動、どうきまるかわからない競争の結果などにかかっている。プロレタリアートあるいはプロレタリア階級とは、ひと言でいえば、十九世紀の労働者階級である。
プロレタリアートとは、自分自身の生産手段を持たず、生活をするためには自分の労働力を売るしかない近代的賃金労働者の階級である。
プロレタリアをわかりやすく単に労働者と呼ばなかったところに、マルクスとエンゲルスのことばの用法の厳密さがある。
マルクスは、プロレタリアについて、肉体労働者とか工場労働者とか生活困窮者とか、そういった限定はいっさい行ってはいないことである。『資本論』には、農業プロレタリア、都市プロレタリア、商業プロレタリアといういい方が登場し、マルクスがプロレタリアを広い概念でとらえていたことがわかる。
■ブルジョアジーとは、近代の資本家階級、すなわち社会的生産手段を所有し、賃金労働者を雇用する人びとのことである。
マルクスのいうブルジョアの条件とは、生産手段を所有していること、そして、賃金労働者を雇用することのふたつ。
■プロレタリアとはみずからの労働力を売って生活する人びとであり、ブルジョアとは所有する資本によってプロレタリアを雇い、利益をあげる人びとということになる。
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