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2013年11月12日 (火)

間宮陽介『同時代論 市場主義とナショナリズムを超えて』岩波書店

19世紀のドイツ・ロマン主義は政治的・経済的グローバリゼーションに対する反動、あるいは作用に対する反作用といってもいいものであった。

カール・レーヴィットに対して、彼の師であるハイデガーや彼の他の弟子たちはナチに加担し、時にはナチズムの煽動者の役割を果たしたのである。彼らは決して、ナチズムという嵐に翻弄された悲劇の主人公ではない。

二百年ほど前、イギリス古典派経済学とフランス人権思想の普遍主義に抗して、(ドイツにおいて)ロマン主義の風潮が生まれた。

野に咲くかすみ草がそれとなく自己主張するというのでなく、ヨーロッパの大輪のバラに取って代わろうとしたのが「近代の超克」論である。

「近代の超克」論は、反自由主義、もしくは自由主義の超克を唱える共同体主義(コミュニタリアニズム)と親縁関係にある。

歴史の岐路にさしかかったとき、真っ先に転向してしまうのは新聞だと丸山眞男がどこかで書いていたが、名言である。

公と私の交わりや境界領域に細心の注意を払うハンナ・アーレント

ナショナリズムというものは一般に心情の吐露という側面をもっており、・・・

丸山眞男とポストモダン派との相違は、ポストモダン派が普遍と特殊の関係を入れ子関係で捉え、結局はナショナリズムの思考様式から脱け出すことができないのに対し、丸山はナショナリズムを克服する途を、人間のウチとソト、国家のウチとソトという二重の対立を克服する方向に求めたことである。

ナショナリズムは、ジョージ・オーウェルもいうように、理性よりは感情の問題である。人間が特定の時間と空間のなかで生きていかざるをえないとしたら、誰も、ナショナリズムやそれに類した感情から逃れることはできない。自分はナショナリズムの感情とは無縁だと思っていても、心の底には、いまだ形を成さないにしろ、ナショナリズムの感情が眠っている。こうした感情の突然の噴出を防止するためには、自己分析を怠ってはならない、そして意識の深層から無意識の感情を取り出して対象化せよ、と丸山はいっているのである。

アーレントによれば、古代ギリシアのポリスは政治的共同体としての都市国家であり、市民の市民たる資格は政治的領域としての公的領域に参加する資格のことに他ならなかった。

小さな政府への回帰を説くレッセ・フェールの反ケインズ主義が・・・

経済思潮の歴史はまさしくクローチェの説く自由の循環の歴史だったといってよい。

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