柴山和久『ビッグデータを利益に帰る方法』幻冬舎メディアコンサルティング
ティム・オライリーが「Web2.0」という概念を提唱しました。これは「送り手から受け手への一方向的なメディアであったウェブが、誰もが送り手であり受け手であるような状態になること」と説明されていましたが、ブログやSNSの隆盛によってまたたく間に当たり前のものとなって死語になりました。
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ティム・オライリーが「Web2.0」という概念を提唱しました。これは「送り手から受け手への一方向的なメディアであったウェブが、誰もが送り手であり受け手であるような状態になること」と説明されていましたが、ブログやSNSの隆盛によってまたたく間に当たり前のものとなって死語になりました。
愛国心とは、盲目的に自分の国を愛し、ほかの国を排斥することなどではないはずです。それがかえって自分たちを苦しめる結果になったことは、歴史からも明らかです。本当に国を愛するなら、周りの国とうまくやっていくことを模索すべきなのです。そのためには、時に国家にノーといい、ストップをかけるだけの強い心が必要です。何度もいうようですが、そのような力を養うための科目が本来の道徳なのです。
大いなる陰謀
スカイ・ライダーズ
不良少女モニカ
戦国自衛隊1549
セーラー服と機関銃
地下水道
魯迅は、『金日成著作選集』のなかで、金日成が青年期に感銘を受けた革命的文学者としてゴーリキーと共に紹介されていました。
金日成は「よど号」グループの男性に、一、二時間話をしました。これは五・一四教示と言われるようになります。
金日成主義というのは、金日成、金正日の命令に絶対的に従えという思想です。また、金日成主義は、「愛と配慮」ということを強調します。
「よど号」グループは、表向きは友達家族風ニューファミリーという仮面をかぶっていました。しかし、一皮剝けば、封建的女性観を持つ男たちの集団でした。
未熟で幼稚な人間が持つ思想は、やはり未熟で幼稚でした。
キッチンはカフェがお手本、
洗面所はホテルがお手本
本来はいちばん偉いのは詩人で、小説家はそれより下である。
文学は私怨ではないのか。スタインベックもフォークナーも、私怨で書いていたのではないのか。
1970年代以降は、まともな学者は邪馬台国論争になどあまり手を出さない。
「魏志倭人伝」という史料が、そもそもそんなに信用できるわけではない。
佐藤優のように、裏から編集者などに圧力をかけるのが、真の悪人である。
西洋史学者の業績は、西洋でも評価されて初めてオリジナルといえる。
スマホ、そしてケータイは、明らかに「21世紀のアヘン」です。
知識がある人はすべてについて知識があるとは限らないが、有能な人はすべてについて有能である(モンテーニュ)。
自分があの「モナ・リザ」の前に立った時、およそ500年前、あのダ・ヴィンチがやはり、この「モナ・リザ」の前に立っていたのだ、と思い、私は身体中がしびれるほどの感動に襲われたのです。
物理学の世界で、1905年は「奇跡の年」と呼ばれています。
ソ連邦の正式名称はソビエト社会主義共和国連邦でした。左翼を代表する国だったのです。
新左翼のこうした行動は、正しいと信じたイデオロギーにもとづき行われている。
社会主義といった場合、日本では旧ソ連邦を念頭におくのに対し、ヨーロッパではドイツなどの社会民主主義をさす。
新左翼の元祖は? トロツキーというのが正解です。
マルクス主義の基調は理性主義。
日本の新左翼のなかで労働運動への最大の浸透を果たしているが革マル派であることは、まぎれのない事実だといえます。
レーニンによれば、軍隊・警察・官僚機構がその暴力装置の実質であって、反革命の暴力には革命の暴力をもってしか対抗しえないと結論づけられました。
個人テロなどは、やってしまったあとには、自分が復讐されるだけの悲惨な現実しかもたらしません。
P220-221
鎌田沢一郎『朝鮮新話』
大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史的調査』
法務省の法務研修書の内部資料である『在日朝鮮人処遇の推移と現状』
煬帝が無礼であるといっていかったのは、「日出ずるところ」の用字に原因があったのではなくて、「天子」といったからいかったのでしょう。
「天皇」は、中国の古典では、北極星を指す言葉です。
『古事記』『日本書紀』の神話の舞台は、高天原、出雲および筑紫の三つ。
飛鳥仏教を「氏族仏教」、白鳳仏教を「国家仏教」
法隆寺の金堂の本尊は何であるかというと、釈迦です。
聖徳太子は、天皇家のなかではじめて寺を建てた在家の仏教信者。
『日本霊異記』・・・・・この書物で取り扱われる回数のもっとも多いのは行基です。
行基は女性にもてている。
『古事記』や『日本書紀』の神話のハイライトといえば、天照大神が天の岩戸に隠れたというくだりと、瓊瓊杵尊が高天原から葦原の中つ国に降りるという、いわゆる天孫降臨のくだりとの二つだろうと思います。
「百姓=農民」という常識の誤りが明白。
津田さんは、「科学」という言葉をほとんど使われないのです。
歴史家はあらゆる心的機能を働かせ、全人格をもって、それをとらえなくてはならない。
学問は知識の蓄積ものでは決してない。いちばん大切なことはその真摯な態度である。
誰によらず、学者であり実業家であり政治家である前にまず人間でなければならない。
ものが要る時にはいらなく、要らない時に大変役に立つのが倉庫の性格。
現在の歴史学の学術用語のほとんどが「横文字」からの翻訳語。
マルクスは自分の考え方をどんどん変えていくんですね。およそ公式とは無縁の人だと思います。
信長にとって天皇の権威は必要なかった。
「日本」という国名が決められたのは7世紀末で、8世紀のごくはじめに初めて中国に対して使われています。
聖徳太子は日本人じゃない。
「起源」は一つではない。
『魏志倭人伝』の倭人と日本人とは違います。
「日本」という国号は畿内の支配層のつけた国号。
汝の道を行け、そして人々の語るにまかせよ!
寒いのは着れば何とかなるのですが、暑いのはどうしようもない(吉田兼好)。
ある集団では当たり前のことが、別の集団では大きな迷惑になる。
トルコがなぜ親日国家なのか
痴漢対策・・・頼りになりそうな男性を見つけ、指をさしてお願いするのである。
ザ☆ビッグバン!!
叫びとささやき・・・完全な瞬間を経験できた
処女の泉
スーパーマグナム
沈黙
テロリスト 黒い9月 ミュンヘン
インテルビスタ
エレンディラ
予告された殺人の記録
バルスーズ
歴史は夜作られる
カオス・シチリア物語
フェリーニのローマ
フェリーニのカサノバ
ペルソナ
道化師の夜
不良少女モニカ
時代は常に、支配や抑圧に対する反抗的エネルギーによって形成されるのである。
実践なき思索は空虚であり、思索なき実践は盲目である。
自然の摂理には二つある。弱肉強食と適者生存という二つの原理です。
感性論哲学の立場からすると、真理は一つという考え方は根本的に間違っている。
責任のある仕事を自分で選び取らせて、最後の責任を取るところまでやらせて、はじめて責任感が湧いてくるのです。
常識で考えていてはいつまでも常識を突き抜けることはできません。
哲学は、「常識で」考えるのではなく、「常識を」考えるところに本領がある。
われわれが常識といっているものは常に否定されるべきものなのです。
人間であるとはどう在ることなのか。
やはり個性は自分の存在証明なのです。
すぐに見分けられるような、他に置き換えのきかない、独特の印象、特徴を持った絵を描く人は、そんなには多くない。
苦しみの中の苦しみを通り抜けてきたような人間でないと、人のうえに立つような人間にはなれない。
長い人生の間の三年です。三年ぐらい寝食を忘れて一つのことに没頭する時期があっても、いいのではないでしょうか。
村正と貞宗。
長所を限りなく伸ばしていくようにすることです。
「ちょっとおかしい」という感性の実感。
独創には一人で創るという意味もあるし、自分で走るという意味もある。
問いをなくした時、その人の人生は終わるのです。
実業人で一番大事なことは、自分が現在している仕事の中に、「ちょっとおかしい」ということを感じることです。
会社は、全社員が自分の能力が最大限に発揮できる最高の場所だといえるような喜びを与えてやらなければならない。
問いこそすべての変化の、すべての独創の、すべての発展の原動力であり、出発点である。
会社でも奇想天外な、「そんな馬鹿な」ということをいう人間をもっと見直してやらなければならない。
学問というものは、ある本質を知ろうと思ったら、必ず比較という方法を使わなければなりません。
言葉があるということは、それを意識しながら人間が生きている証拠であり、言葉がないのは、それを意識していないということなのです。
完全という言葉がなかったら、不完全という言葉は出てこない。
せっかく地位を極めて、その地位から人間が落ちる原因というのは、必ず傲慢さなのです。
本当に大切なものは、不完全性の自覚から滲み出る謙虚さなのです。
罪は罪で、失敗は失敗で償わなければならないが、本当に申し訳ないことをしたという気持ちがその人の中にあることを確認できれば、最後は許さなければならない。それが人間というものの節度であり、人間としての生き方の基本的態度でなければなりません。
明日が今日と同じ明日であってはならない。
人間として仕事をするということは、今自分がしている仕事を、このためなら死んでもいいと思えるほどの値打ちのあるものにしていくことにあります。
人事管理上一番大事なことは、誰と誰を組み合わせるかということです。
謙虚になるということは、持っている力をセーブして出すということですから、実際は本当に強い人間しか本物の謙虚さは持てないのです。
人に認められることによって、本当の喜び、本当の満足感、本当の幸福感が出てくるのです。
理想は決して現実にはならない。
数学でどの程度の複雑な問題にまで対応できるかの能力は、人生全般の問題において、どの程度の複雑さの問題にまで耐えられるのかという能力に関係しているということです。
知識は人生を支配します。
ここまでは知っているが、ここからは知らない。そういうことをはっきりさせるのは、誠実さの現れです。
プロはその職業において、いい加減な生き方は絶対にしてはいけない。
人類の歴史で、全人類的な規模で人格の深さを獲得した時期があります。それは中世です。
自分から選び取った道筋から出てくる苦労からは、絶対に逃げてはなりません。
自分で問題を乗り越え、自分で解決してくことが大事です。
人間は、異なる体験を持っているから対立するのです。
悪は、今一番緊急に何をしなければならないかを教えてくれている。それが犯罪や悪という現象の本質なのです。
常に全体を見回しながら部分をさわるということが、人のうえに立つ経営者には大事なのです。
どんなことでも十年やったら本物になるよ。十年続けられるかどうかだ。
どれだけおばあちゃんになっても、女としての部分はなくならない。
自分の身に起こるすべての出来事は自分の責任であり、自分に問題がある。
人に騙されるということは、自分にもそれだけの甘さがあったということです。
儒教という思想が人間にとって、あるいは社会の発展、成長にとって、いかに不利益であり、毒であるか。
世の中の善と悪とを較ぶれば、恥ずかしながら悪が勝つ。(必殺仕事人)
そのグループ内では互いにいい人間関係が保たれていても、外からは異常な世界に見えるということがしばしばあります。
男は父性に到達して、はじめて男として完成するのです。
どんなに人間が鍛えられていても、お金がなければ甘んじるという気持ちにならざるを得ない。
私は大学の国文の先生に教えてもらったのですが、これをつければどんなものでも立派な短歌になるという言葉があります。それは、「それにつけても金の欲しさよ」という言葉です。
現実の社会においても、やはり貧しくないだけのお金がなくてはならない。
立派な、大きな仕事をした人たちの伝記を読んだり話を聞いたりすると、自分がしようとしているのではない、何か不思議な力が自分の中から湧き出してきて、させられるという感じだといったことが書いてある。
この秋は雨か嵐か知らねども 今日の勤めの田草取るなり (二宮尊徳)
その人しかわからないものがあるというのは、すごい財産です。
恨みは誰かがどこかで断ち切らなければ、その恨みの連続は仕返しとなって、永遠に続くことになります。
感性が生命の本質であり、理性は合理的にしか考えることができない、有限で、不完全な能力である。
自民党安倍政権において、マスコミを利用しながら世論を動かす手練手管は際立っている。
いかに国民を騙すか。理屈で騙されている。
一つの基金や機構をつくれば、天下りや予算配分といった利権が誕生する。
マイナンバーはいったい何に使えるのか。身分証明書の代わりである。
煩瑣なデータ処理や技術的な問題は、官僚がもっとも得意とする領域である。
答弁は基本的に官僚が考える。
「法律は附則に注目せよ」と言われる。附則には立法者の意図が隠され、その存在は、ときに法律の主旨そのものを変えてしまうことさえある。要注意である。
彼らの最終的な目的は、核のゴミを再処理してプルトニウムに変え、原爆や核爆弾をつくる技術を開発することにある。
日本では原発など重要施設の「直下」に活断層があるかどうかが焦点となるが、米国では直下かどうかにかかわりなく、施設の近傍にあることも許されない。
ISDS条項は、ある国の企業が投資先の国で不平等な扱いを受けた場合、企業はその国を訴えることができるという約束事を指す。
農協が現在果たしている機能をひと言でいえば、競争を抑えることにあると私は見ている。
官僚は租税特別措置には熱心だが法人税減税は嫌い。
立憲主義、憲法によって国家権力をコントロールするという考え方だ。国民が国家権力の暴走を止め、真に主権者たる国民のために働くようにする仕組みだと考えればいい。
中国の軍拡を抑える最大の抑止力は、じつは国際世論だ。
「国防軍を保持する」という文言を憲法に盛り込んだとたん、日本は「法的に軍隊をもたなければならない」ことになる。
何が「公益」か、何が「公の秩序」かは、政府が政省令などで定めることになるだろう。つまり二十一条を改正したとたん、必ずそれを具体化するための規則がぞろぞろできることになるのだ。
日米安保条約において、米国は日本の防衛義務は負っているが、日本は米国の防衛義務を負っていない。
自民党のシンクタンクは基本的に官僚。
男性の性欲の捌け口の道具として女性を利用するのは、仮に法律的に許されるものがあったとしても、倫理的には決して許されることではない。
橋下氏の弱点は、何よりも国際感覚が著しく欠如していることである。
朝鮮半島では本貫が同じもの同士は結婚しないという慣習もある。本貫とはその家の始祖の出身地をさす。つまり姓が同じで本籍地も同じ者同士は縁を結ばないということであるが、日本よりも姓が少ないので、さらに条件が厳しくなる。
「オッパ」は、女性が年上の恋人を呼ぶときに口にする言葉でもある。
在日韓国朝鮮人は、慶尚道や済州島など韓国の南の地域の出身の人間が多い中、北部の京畿道の人間は珍しかった。
チェサとは、日本で言うところの法事にあたる。
セットンと言われる、袖に五色の縞を入れたチョゴリ・・・
昭和五十四年一月二十七日朝、梅川昭美の母静子は、・・・・・彼女は二時間近く美容院の椅子に座っていたのである。誰もが唖然とした。髪ふり乱して息子の説得に駆けつけるという風な母親像とは全く異質の或る不気味さが感じられる。
税務署の事務年度は、7月1日から翌年6月30日までとなっています。
事業者免税点制度の網
青色事業専従者給与についての裁判所の説明
在庫の量が多くなるのであれば、実地棚卸のしやすい時期を選ぶという考え方もあります。流通業や小売業に2月決算が多いのはそういったことも関係しています。
法人の設立日と事業開始日は同一日でなくても構いませんが、個人の廃業日と法人の事業開始日は原則として一致させます。
レシートには、税金の世界における領収書の要件とされている4つの内容が詳細に記録されています。
税務署は使途不明金を「役員賞与」とみなしたがる。
個人についてはおおむね1~2%、法人についてはおおむね4~5%程度しか、税務調査は実施されていないのです。
修正申告書の提出とは、納税者の裁判を受ける権利を放棄することでもあるのです。
裁判では「和解」が許されない。税務調査では許される。
税務調査を実施する場合、税務署はいかに税理士に口出しをさせないかということを第一に考えています。
発生・発音トレーニング
朝礼スピーチの内容として、大きく次の3つがあげられます。
雨の日は客足が落ちますので、普段以上に丁寧な接客を心がけてください。
現在のところ、天皇になることができるのは「皇統に属する男系の男子」です。
第36条 原文に「絶対に」とあるのは、公共の福祉を理由としても拷問はできないという意味です。
国の活動を憲法でコントロールするのが立憲主義です。
やる気と気力と体力をつけていないから。
自分自身でなく「自分の努力」に対して厳しくあれ。
仕事ができても、倫理観がなければ失格。
新規事業の場合は、最初に撤退のルールを決めたうえで参入する。
どんな小さな不正でも一度行なえば必ず失脚する。
ソフトバンクは五割が優秀で五割がダメ。普通がいない。
経営状態を「自転車操業」と苦言した部下に対し、孫社長が「抜け出すには(自転車を)もっと速く漕げばいいんだよ」と切り返したエピソードは有名だ。
手元流動性が分厚く、絶対に潰れないことが分かっている。ソフトバンクの場合は、ヤフー、スプリント、ガンホー、アリババと換価性の高い有価証券だけで数兆円分のアセット(資産)がある。
たしかに一進会は「併合」の前年の1909年に「合邦請願書」を出している。しかし、一進会の構想した「合邦」とは今日で言う連邦制に近く、朝鮮政府の存続や日朝両国民の対等な権利を前提としており、むしろ日本の植民地支配を回避するための苦心の策として提案されたものだった。
日本は、二度、国家統一の争いを経験した。最初は三、四世紀の大和朝廷の日本統一にいたる戦乱。もう一つが、戦国時代から安土桃山時代にいたるものである。
能や狂言、茶や花、また連歌、庭など日本文化を代表するさまざまなものは、暗黒と下剋上の時代にはじまった。
川中島は一騎打ち、桶狭間は奇襲突入。日本人の夢を壊してはいけません。
当時の在日外国特派員ルイス・フロイスによれば・・・
徳川幕府の支配、それは中世ヨーロッパの封建制とは大きく異なっている。
歴史は勝者によって書かれる。
江戸の名は「江の門戸」という意味から生じたという。
このように後の何々天皇と称されるのは、それ相当の理由がある。
「参勤」は文字どおり出府し、将軍家の繁栄を祝福すること、「交代」はその勤めを終え、他の大名と代わることをいう。
信長、秀吉、家康の年齢差が、意外に接近しているのを御存じか?
君罰より神罰恐るべし、神罰より民罰恐るべし。
天下を覆そうとする大乱が三つあった。島原の乱、由比正雪の乱、大塩平八郎の乱の三つである。
源氏物語や枕草子、万葉集などに碁についての記述がある。
かるたは、天正年間にポルトガル船によってもたらされた。
かの悪法「生類憐みの令」は、世子を授かりたいと願う綱吉母子の要請にこたえて隆光大僧正が編みだした一種の「子授けの術」にほかならない。
西鶴は現実派、近松は情緒派。
良い絵画を創る上で最も大切なこと、それは自然、個性的創造、芸術の法則、この三つの結合。
「勝てば官軍」という言葉の持つ暗喩ほど戊辰戦争を物語るものはない。
蝦夷は北海道と改名されるが、本来はアイヌの土地、アイヌモシリ(人間の土地)。
科学技術は専門家にまかせるには重大すぎる。
火山学の研究者が噴火の予知に失敗した。だが、住民たちの信頼は揺らぐことはなかった。わしらが遊びほうけているときも、あの先生は一日も休まず火口を見に行ってたのを知ってるから。
信頼の根はいつの時代も、学者がその知性をじぶんの利益のために使っていないというところにあるのだろう。このことを、哲学者のカントは「理性の公的使用」と呼んだ。
諸外国の歴史に関して、わたしたちは西欧諸国のそれ以上に隣国のそれを学んできただろうか。
今日もっとも「大衆的」な存在は専門科学者である(オルテガ・イ・ガセット)。
ドイツでは、算数と社会科と国語とが一体に組み合わされているのだ。
ミューズの神は、だれも予想だにしない領域に、その時代のもっとも優れた人材を喚び込む。
「教養」については明確な定義はない。
だれでももともとその時代の息子であるが、哲学もまた、その時代を思想のうちにとらえたものである(ヘーゲル)。
網野善彦
「世論調査」という名の「世情調査」
ある新聞記事の内容の正しさを別の新聞記事を見ることで確認する(ウィトゲンシュタイン)。
物ごとの裏側を見透かす癖
パスカルの『パンセ』には、「二重性」(duplicity)、「不均衡」(disproportion)、「矛盾」(contradiction)などが重要な鍵概念として登場する。
日本を代表する花火大会といえば、秋田県の「全国花火競技大会」、茨城県の「土浦全国花火競技大会」、新潟県の「長岡まつり大花火大会」が日本三大花火大会
就労ビザの取得がどの国でもほとんど不可能に近いのだ。
コインパーキングは借地借家法の適用もなく、・・・
映画館は一般に以下の3種類に分類される。
気のきいた「知識人」として歓迎されている間に、日本の国が取り返しのつかない方へ持って行かれてしまうことを恐れるからである。ファシズムは、似而非学者・文化人の言論の横行に支えられてやって来る-これは歴史の教訓である。
ゲットーとは集団差別のことである。
1619年、バージニア植民地にはじめて26人の黒人奴隷がオランダ船で運ばれて来た、これぞアメリカ奴隷制の起源である。
タルムード(ユダヤ教の口伝立法とその解釈の集大成)
もっとこわいのは、昔もこういう種類のデタラメ「文化人」の協力でファシズムがやって来たし、こんど来るときも同じだろうということである。
内村鑑三のような、キリスト教徒の非戦論者・平和主義者までが、木刀をもって家のまわりを警戒に当たったのは事実。
もともと神話は、記録としてあるいは著作として存在したものではなかった。神話はあくまでも神聖なる言葉であり、それは儀礼や祭式などのなかで、語りつがれ、はぐくまれていったものである。
神話はついに政治から解放されはしなかった。
記紀神話が高度の政治性をおびた、きわめて体系的なものであったことは、だれもが認めなくてはなるまい。
『日本書紀』には、内外の文献が多数引用されている。
記紀神話を日本神話のすべてであるかのように錯覚して、・・・
宮廷にあっては記紀の世界に、地方にあっては風土記の世界・・・
外来の儒教や仏教の信仰が宮廷内部にもとりいれられ、朝鮮や中国の法知識も導入されてくる。
外交関係記事は『日本書紀』のほうに圧倒的に多い。
三柱の貴士のうち、統治の役割が、すべての所伝で一貫しているのは、アマテラスオオミカミだけである。
タカミムスビこそが皇祖アマテラスオオミカミよりも原初の神であった。
タカミムスビの神も、対馬→朝鮮に関係の深い神であった。
高天原にかんする神話的思考の源流は、国の内よりも国の外に求めなければならないだろう。
「簡潔さは才能の姉妹」と述べたチェーホフ。
20世紀は「世界最初の労働者と農民の国」ソビエトが誕生し、崩壊した世紀でもあった。
言葉はまず何よりも音であることを痛感する。
『進歩的』な女の人は、いつも『新体制』の前で張りきっちゃう。
国家としては社会主義の面子を絶対に捨てない中国。何よりも管理されることを嫌う香港。
人文系の学問に携わる人々の言葉が、恐ろしく難解になっていく一方で、一日平均30語で事足りている若者たちの群れ。
スターリン自身が、ゴミ屑扱いされたグルジア民族の出であること、・・・
民族は自覚である。国民の資格は国が定義するかもしれないが、民族への所属は個人が自ら決めるものである。
長大な叙事詩を憶えた吟唱者に文字の知識を与えたとたん、すべての記憶が失せてしまったというような例が世界の各地から報告されている。
ある人にとっての『テロリスト』は、他の人にとっては『自由の戦士』だ。
石仏破壊には大騒ぎした世界も、石仏破壊よりもはるかに以前からアフガニスタン全土を覆っていたこの悲惨な現実に対しては無関心だった。手を差し伸べれば救えるだろう命が次々と絶たれていく事実は無視してきた。
ゲームの流れのなかで、あらかじめ予定していたこととは異なる動きをするのがチーム・プレイ。
唯一神信仰は、例外的人工的な宗教で、世界に三つ(キリスト教・イスラム教・ユダヤ教)しかない。しかもいずれも元はユダヤ教で、共通の神を信仰している。
その国を真に知るには刑務所を見ろ(トルストイ)。
1968年に「人間の顔をした社会主義」をめざした「プラハの春」
キリスト教を背骨とするヨーロッパにあって、ユダヤと並ぶ二大異端、流浪の民ジプシー。
いい通訳の条件は、その国の小説を自在に読めること、そして自国の小説もちゃんと読めること。
カルチュラル・スタディーズは、文化をけっしてある土地や人間に本質的に付与され固定されたものとは考えないところから出発する。
カルチュラル・スタディーズにおける文化とは、私たちの日常生活を成り立たせているさまざな力学の結果であると同時に、それを成り立たせているものに対する私たち自身の日常的な取り組みを指す。
生物学的な性であるセックス、社会的な性としてのジェンダー、性的欲望全般に関わるセクシュアリティ
血筋とは、まったく想像の結果に過ぎないのだ。
アイデンティティに関する最初にして最後の問いが、「自分とは何者か?」という問いであることは間違いないだろう。
17世紀末に哲学者のライプニッツが「この伝説には何か真実がかくされている」と述べ・・・
都市の空気は自由にする。
私たちは法制とか社会制度の整備、さらに市壁の立派さとか建物が堅固になったという、誰の目にも容易に見える事実に惑わされてはならない。こうした外面的繁栄の陰で呻吟していた極めて多くの庶民がいたからである。
乞食とは中世キリスト教社会ではポジティヴな身分であって、現代のように遠慮がちなネガティヴな地位には立っていなかった。
ドイツ最初の刑法法令集『カロリーナ』
われわれは中世政治史や文化史のロマネスクやゴシックの建築に象徴される華麗な叙述の背後に、痩せさらばえ、虚ろな顔をして死にかけた乳幼児を抱いて、足をひきずるように歩いていた無言の群衆を常にみすえていなければならないのである。
ハーメルンが古来水車の町として著名。
魔術などは信じさえしなければ存在しない。
グリム兄弟自身ハーメルンの伝説を書物から採録したにすぎず・・・
古代から現代にいたるまで、人間を犠牲に供する秘儀がキリスト教の教義の中心をなしてきた・・・
事業年度は基本的に法人が定款等に定めた「営業年度」と一致します。
会計上の売価還元法は、税法上は特別な評価方法の位置づけになるため、その採用にあたっては所轄税務署長に申請し、その承認を受ける必要があります。
受取配当金は、純粋持株会社等では売上高として表示されることもあります。なお、会計上は、みなし配当という考え方はありません。
実践の科学としての経営学と、社会科学としての経営学は異なります。
自分の経験を思い返してはみるものの、不思議なことに、書籍や雑誌でよく見かけるようなフレームワークを使った記憶は一度もありません。
ポーターの論文はたったの7本。
実学としての経営学は、「原理原則」「経験則」「代替案」を提供する。
ブランディングという行為の起源は、少なくとも紀元前2250年のインダス文明や紀元前300年のギリシャにまで遡ることができると説明しています。
エシュンナ法典
リピト・イシュタル法典
世界上位100の経済体の半数は国ではなく企業。
なぜ価値連鎖の戦略が重要なのか、それはたとえば30年前と比較して、より多くの国の多数の企業が連携して1つの製品を作り出す時代となっているからです。
近年においても好業績を続ける日本企業の多くは、実は完成品メーカーではありません。
マルクスの『資本論』は、「資本」論であると同時にすぐれて「資本家」論でもある。
マルクスは『資本論』において、資本は最終的には最高度の発展の結果、株式会社形態へと至り、そこでは「所有と機能の分離」が極限に達することを明らかにしている。
マルクスの『資本論』は株式会社論でもある。
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