芳村思風『人間の格 感性論哲学の人格論・境涯論』コスモ教育出版
時代は常に、支配や抑圧に対する反抗的エネルギーによって形成されるのである。
実践なき思索は空虚であり、思索なき実践は盲目である。
自然の摂理には二つある。弱肉強食と適者生存という二つの原理です。
感性論哲学の立場からすると、真理は一つという考え方は根本的に間違っている。
責任のある仕事を自分で選び取らせて、最後の責任を取るところまでやらせて、はじめて責任感が湧いてくるのです。
常識で考えていてはいつまでも常識を突き抜けることはできません。
哲学は、「常識で」考えるのではなく、「常識を」考えるところに本領がある。
われわれが常識といっているものは常に否定されるべきものなのです。
人間であるとはどう在ることなのか。
やはり個性は自分の存在証明なのです。
すぐに見分けられるような、他に置き換えのきかない、独特の印象、特徴を持った絵を描く人は、そんなには多くない。
苦しみの中の苦しみを通り抜けてきたような人間でないと、人のうえに立つような人間にはなれない。
長い人生の間の三年です。三年ぐらい寝食を忘れて一つのことに没頭する時期があっても、いいのではないでしょうか。
村正と貞宗。
長所を限りなく伸ばしていくようにすることです。
「ちょっとおかしい」という感性の実感。
独創には一人で創るという意味もあるし、自分で走るという意味もある。
問いをなくした時、その人の人生は終わるのです。
実業人で一番大事なことは、自分が現在している仕事の中に、「ちょっとおかしい」ということを感じることです。
会社は、全社員が自分の能力が最大限に発揮できる最高の場所だといえるような喜びを与えてやらなければならない。
問いこそすべての変化の、すべての独創の、すべての発展の原動力であり、出発点である。
会社でも奇想天外な、「そんな馬鹿な」ということをいう人間をもっと見直してやらなければならない。
学問というものは、ある本質を知ろうと思ったら、必ず比較という方法を使わなければなりません。
言葉があるということは、それを意識しながら人間が生きている証拠であり、言葉がないのは、それを意識していないということなのです。
完全という言葉がなかったら、不完全という言葉は出てこない。
せっかく地位を極めて、その地位から人間が落ちる原因というのは、必ず傲慢さなのです。
本当に大切なものは、不完全性の自覚から滲み出る謙虚さなのです。
罪は罪で、失敗は失敗で償わなければならないが、本当に申し訳ないことをしたという気持ちがその人の中にあることを確認できれば、最後は許さなければならない。それが人間というものの節度であり、人間としての生き方の基本的態度でなければなりません。
明日が今日と同じ明日であってはならない。
人間として仕事をするということは、今自分がしている仕事を、このためなら死んでもいいと思えるほどの値打ちのあるものにしていくことにあります。
人事管理上一番大事なことは、誰と誰を組み合わせるかということです。
謙虚になるということは、持っている力をセーブして出すということですから、実際は本当に強い人間しか本物の謙虚さは持てないのです。
人に認められることによって、本当の喜び、本当の満足感、本当の幸福感が出てくるのです。
理想は決して現実にはならない。
数学でどの程度の複雑な問題にまで対応できるかの能力は、人生全般の問題において、どの程度の複雑さの問題にまで耐えられるのかという能力に関係しているということです。
知識は人生を支配します。
ここまでは知っているが、ここからは知らない。そういうことをはっきりさせるのは、誠実さの現れです。
プロはその職業において、いい加減な生き方は絶対にしてはいけない。
人類の歴史で、全人類的な規模で人格の深さを獲得した時期があります。それは中世です。
自分から選び取った道筋から出てくる苦労からは、絶対に逃げてはなりません。
自分で問題を乗り越え、自分で解決してくことが大事です。
人間は、異なる体験を持っているから対立するのです。
悪は、今一番緊急に何をしなければならないかを教えてくれている。それが犯罪や悪という現象の本質なのです。
常に全体を見回しながら部分をさわるということが、人のうえに立つ経営者には大事なのです。
どんなことでも十年やったら本物になるよ。十年続けられるかどうかだ。
どれだけおばあちゃんになっても、女としての部分はなくならない。
自分の身に起こるすべての出来事は自分の責任であり、自分に問題がある。
人に騙されるということは、自分にもそれだけの甘さがあったということです。
儒教という思想が人間にとって、あるいは社会の発展、成長にとって、いかに不利益であり、毒であるか。
世の中の善と悪とを較ぶれば、恥ずかしながら悪が勝つ。(必殺仕事人)
そのグループ内では互いにいい人間関係が保たれていても、外からは異常な世界に見えるということがしばしばあります。
男は父性に到達して、はじめて男として完成するのです。
どんなに人間が鍛えられていても、お金がなければ甘んじるという気持ちにならざるを得ない。
私は大学の国文の先生に教えてもらったのですが、これをつければどんなものでも立派な短歌になるという言葉があります。それは、「それにつけても金の欲しさよ」という言葉です。
現実の社会においても、やはり貧しくないだけのお金がなくてはならない。
立派な、大きな仕事をした人たちの伝記を読んだり話を聞いたりすると、自分がしようとしているのではない、何か不思議な力が自分の中から湧き出してきて、させられるという感じだといったことが書いてある。
この秋は雨か嵐か知らねども 今日の勤めの田草取るなり (二宮尊徳)
その人しかわからないものがあるというのは、すごい財産です。
恨みは誰かがどこかで断ち切らなければ、その恨みの連続は仕返しとなって、永遠に続くことになります。
感性が生命の本質であり、理性は合理的にしか考えることができない、有限で、不完全な能力である。
« 古賀茂明『利権の復活 「国民のため」という詐術』PHP新書 | トップページ | 本日の映画 »
「哲学」カテゴリの記事
- 細谷貞雄編『世界の思想家24 ハイデッガー』平凡社(2022.06.17)
- 大井正・寺沢恒信『世界十五大哲学』PHP文庫(2021.12.13)
- 佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』角川新書(2021.01.16)
- 加藤尚武『応用倫理学のすすめ』丸善ライブラリー(2021.01.16)
- 真下信一『思想の現代的条件ー哲学者の体験と省察ー』岩波新書(2021.01.15)
コメント