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2014年11月 2日 (日)

金一勉『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか 民族意識と差別』三一書房

差別社会そのものは、精神的には殺人行為に匹敵する恐ろしさを内包している。

『日本書紀』や『古事記』に記載された渡来人の名はすべて、倭の流儀でつけられている。

日本官憲の徹底した「不逞鮮人」呼ばわりが、在住朝鮮人に「日本名」を余儀なくさせたのである。

金嬉老は名前を七つも持っていた。

朝鮮統治に乗込む「総督」という人物は陸軍大将にきまっていた。

日本共産党も、『赤旗』第一号で“米軍は解放軍”であると規定し、・・・

「アメリカ」とはニセ紳士だった。

1948年、南朝鮮に李承晩という“アメリカから輸入された右翼の老人”を立てて・・・

アメリカの人種偏見に見られるように、強い偏見者たちは九人のまともなニグロは見のがし、十人目のだらしのないニグロに出会うや「やっぱりニグロというやつは・・・」と騒いだ・・・

帰化者たちの大部分は「自ら味わった生きることの苦労を、わが子に味あわせたくない」というものだった。

朝鮮の文化や歴史を学び、日帝の占領時代のことや、強制連行や強制労働のこと、朝鮮戦争のことなど知れば知るほど、祖国朝鮮がいとおしくなる。

自己民族の劣等を自作自演するのは重大な民族問題に属する。

同化しようとすれば、かえって差別は深刻になるばかりだ。

創価学会は、日本の底辺の人々をさらったといわれる。

日本では、名前の文字を見るだけで当人の出生年代をおぼろげに察するという。とくに昭和の戦争時期には、やたらに「忠」「孝」「雄」の意がこめられて忠孝精神を強調した。

元来、朝鮮の女性の名に「子」をつける習慣はない。

日本の『日本書紀』は『百済書記』と言いたいくらいの接点を持っている。

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