間宮陽介『丸山眞男を読む』岩波書店
共同体には消極的な面もあれば積極的な面もあるという発想はバランスシートの貸方と借方を隈なく埋めようとする会計学的発想である。
だが丸山は決して俗にいう意味での「近代主義」者ではない。
歴史家は手にした資料をそれ自体で完結した自足的命題とはみない。つまり史料はそれみずから歴史を語るわけではない。コリングウッドによれば、歴史家は史料を問いと答えの複合体とみなす。この問答複合体は閉じたカプセルではなく、一連の系列を成している。歴史家はこれらの史料にこんどは歴史家自身の問いをもって当たり、歴史に潜む問いと答えのプロセスを再構成する。このようにして、所与の史料はたんなる紙きれや陶片から「証拠」へと姿を変えるのである。
ドイツやイタリアのファシズムは民間に発生したファシズム運動が大衆を組織し、一揆や革命によって政権を奪取した「下から」の運動であるのに対して、日本ではそうではない。
中性国家
丸山によれば、第一帝国議会の召集に先立って教育勅語が発布されたことは、明治国家が公と私、政治と倫理の一体性のうえに立っていたことの端的な表明である。
ハイエクは、ナチズムの思想は国家主義、民主主義、社会主義など、ありとあらゆる思想のごった煮であり、権力の維持・拡大に役立つ思想ならどんなものでも取り入れた、ただ一つの例外は自由主義だと述べたが、それも当然で、自由主義だけはナチズム=全体主義とは絶対に相容れないからである。
日本には決断主体としての独裁者がいなかった。
セイレーンの声
はっきりいえるのは、丸山は自由主義者としてではなく、根底的な民主主義者として大衆消費社会下の大衆デモクラシーを批判したということである。
本書を貫く視点は一貫している。丸山が何をいったかよりも、むしろ彼が何をいおうとしたか、その思想の余白を考えること。
ミルトン・メイヤー・・・丸山「現代における人間と政治」(『現代政治の思想と行動』)
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