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2014年12月 3日 (水)

佐藤卓己『八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学』ちくま新書

原子の熱運動がなくなり物質が完全に静止する絶対零度、摂氏マイナス273.15度を時間の単位に換算すると4分33秒になるという。つまり、絶対零度では音楽を含めすべての活動が停止するという含意である。

大島渚は、「敗者は映像を持つことができない」という。

真珠湾攻撃やシンガポール陥落の日本側映像は存在する。だが、日本側にミッドウェー海戦の映像はなく、サイパンや硫黄島の玉砕も沖縄戦もすべてアメリカ軍の映像のみが存在する。

なぜ誰ひとりとして、玉音放送を録音する天皇の姿をせめて写真になりと撮っておこうとしなかったのか。

玉音放送という国民的体験の写真に関して、この有様である。それ以外にあまたある集団的記憶も・・・

私たちは、これまでこうした出所の怪しい写真によって、八・十五のイメージを形づくってきたのだから。

全米から全世界に中継放送された「戦勝」儀式が、日本放送協会によって国民に放送されることはなかった。

アメリカの対日戦勝記念日、いわゆるVJデイは、いうまでもなく九月二日であった。

VJデイはトルーマンの思惑通り、当時の日本人にとっては「屈辱の日」であった。この「九・二降伏記念日」を忘れたい、そう思ったのが政治指導者たちだけでなかったことも確実である。

VEデイ(ヨーロッパ戦勝記念日)

蒋介石が総統を名乗るように、国民党そのものがナチ流の指導者原理を採用した全体主義政党だったことや、・・・

「放送された玉音」と「放送されなかったミズーリ調印」の違いは無視できない。玉音放送が伝えた「終戦」は、公式文書の「降伏」を国民体験の記憶で覆い隠してしまった。

お盆と終戦記念日、宗教と政治が重なる八月十五日の性格づけの曖昧さこそ、戦後の歴史認識を象徴している。

創られた伝統(E・ホブズボーム)

古いとされるものも実は新しい

「武士道」とは、バジル・H・チェンバレンが「新宗教の発明」と表現した武士道である。

GHQにより発せられた「神道指令」により「公文書二於イテ『大東亜戦争』、『八紘一宇』ナル用語」を使用することは禁止されていた。

「大詔をお下しになつた」のは八月十四日であり、「大本営に降伏を命じ、また国民に武器をすてて、てむかひをやめるやうに命令」したのは八月十六日である。

『マッカーサー大戦回顧録 下』によれば、ミズーリ号は横浜港から約二十九キロ沖に停泊していた。

1978年に江藤淳が平野謙批判で口火を切った「無条件降伏論争」があったはずである。

「十五年戦争」という表記は、鶴見俊輔が「知識人の戦争責任」で提唱して以降普及したとされている。

1931年の満州事変から数える「十五年戦争」が中国重視の呼び名・・・

『新しい歴史教科書』運動の中核に、司馬遼太郎の「語り口」を史観として評価する「自由主義史観研究会」が存在したことからも明白である。

丸山眞男が唱えた「八・十五革命」神話の呪縛

大日本帝国の『実在』よりも戦後民主主義の『虚妄』の方に賭ける

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