松本健一『民族と国家 グローバル時代を見据えて』PHP新書
国家を超えるもの同士の戦争には、国際法に規定されるような宣戦布告も終戦も存在しない。
ところが現在、一つの民族が一つの国家として独立するような、つまり単一民族国家などというものは地球上にほとんど存在しないことが明らかになった。
植民地を維持するためには、膨大な資金やインフラが必要になったのである。
あえていえば、アイヌ民族はエスニシティとしては日本人とは別民族であるが、ネーションとしては日本民族、ということになる。
国民国家の歴史は、このように十九世紀の初め、ナポレオン率いるフランス国民軍がヨーロッパ中にその力を見せつけたころから始まるのである。
日本では天照大神にしても、スサノオにしても、神様が労働をしている。
日本ばかりでなく、中国にも韓国にも、国旗・国歌の発想はまったくなかった。
たとえば日本人と中国人、朝鮮人、モンゴル人は、モンゴロイドという点では同じ人種である。
人間は、どこに行っても、その土地の言語、文化、ものの考え方に染まっていくものなのである。
人間に生命システムを伝えるのはDNAであるが、民族の文化的システムを伝えるのはミーム(meme=文化的な遺伝子)である。人間は、どこに行っても、土地の言語、文化、ものの考え方に染まっていくものなのである。
ファッショとは、ラテン語で「束」を意味する。
民族という文化的、歴史的集団ができあがる過程は、かならず固有の言語がつくられる過程と重なる。ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』ふうにいうと、国語を持たなければネーション・ステイトは成立しないのである。
日本史の中では、深刻な宗教戦争はほとんど起こっていない。信長のみが、一神教的性格を持った蓮如の石山本願寺(大阪)に宗教戦争を仕掛けた。
日蓮が蒙古襲来の末法の世界に「われ日本の柱とならん」と宣言
青森の恐山も、「ウソリ」というアイヌ語からきており、「くぼんだところにできた湖」という意味である。
文化とは、民族の生きるかたち、である。
額田王の父親は新羅からの渡来人といわれる。
農業も起業の一つなのである。
アンダーソンは、国民国家ができあがるためには、その国語の成立が大きな役割を果たす、と指摘している。
私見では、1915年の対華二十一ヵ条こそ日本ナショナリズムが「侵略」へと踏み越していった過ちであった。それが大東亜戦争の起点なのである。
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