宇沢弘文『社会的共通資本』岩波新書
二十世紀は資本主義と社会主義の世紀であるといわれている。
制度主義は、資本主義と社会主義を超えて、すべての人々の人間的尊厳が守られ、魂の自立が保たれ、市民的権利が最大限に享受できるような経済体制を実現しようとするものである。
社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。
社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。
ヴェブレンの制度主義の思想的根拠は、これもまたアメリカの生んだ偉大な哲学者ジョン・デューイのリベラリズムの思想にある。
社会的共通資本の各部門は、職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規範にしたがって管理・維持されなければらない。
制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度をひろい意味での資本と考えようとするものである。
非人間的、非倫理的な受験地獄を生み出してきた現行の大学入学試験制度の矛盾が・・・
レーガン政策の背後には、反ケインズ主義ともいうべき政治思想と経済哲学の考え方が存在していた。それは、サプライサイドの経済学、マネタリズム、合理的期待形成の経済学などというかたちをとって現われ、1970年代の後半から1980年代の前半にかけて、きわめて保守的、反動的色彩のつよい経済学の流行を惹き起こした。
レールム・ノバルム
フィデュシアリーの原則
新古典派理論は、1870年代にジェヴォンズ、メンガー、ワルラスなどによって形成された、いわゆる限界革命を契機にしてつくり出されたが、資源配分の効率性にのみ焦点を当てて、所得分配の公正性という側面はほとんど無視してきた。
分配の公正、貧困の解消という経済学本来の立場であり、そのために必要な理論的枠組みの構築が新しいパラダイムの形成に不可欠であるというのがジョーン・ロビンソンのいう「経済学の第二の危機」の意味するところであった。
反ケインズ経済学は、マネタリズム、合理主義経済、サプライサイドの経済学、合理的期待形成仮説など多様な形態をとっているが、いずれも新古典派経済理論の理論前提にもとづくものであって、その共通の特徴としてあげられるのは、理論前提の非現実性、政策的性向の反社会性であり、市場機構の果たす役割に対して、その正当性を前提とし、強調する理論的性格をもっている。
アメリカのレーガン大統領、イギリスのサッチャー首相、日本の中曽根首相という政治的指導者たちが、新保守主義の旗をかかげて、・・・
封建性の時代から一貫してみられた日本農村の閉鎖性
もともと社会的共通資本の考え方は、自動車の社会的費用の概念を明確に理解するために考え出されたものであった。
子どもたちがもっている能力を単元的な尺度で測ったり、比較しようとしたり、あるいは、そのパフォーマンスを順位づけしようとすることは、教育の目的から大きく逸脱したものであり、決しておこなってはならない。
一人一人の子どもがもっている個性的な資質を大事にし、その能力をできるだけ育てることが教育の第一次的な目的である。
デューイの考え方はいわゆるリベラリズムの立場に立つもの
フィッシャーは、新古典派経済学の考え方を代表する経済学者であって、・・・
自然環境は、経済理論でいうストックの次元をもつ概念である。
シャーマニズムは、三千万人を超えるアメリカ・インディアンが信じていた宗教であったが、それは、自然資源を管理し、規制するためのメカニズムであって、その持続的利用を実現するための文化的伝統であった。
ベーコン、デカルト
« 佐藤卓己『八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学』ちくま新書 | トップページ | 藤森益弘『ロードショーが待ち遠しい 早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術』文藝春秋 »
「経済学」カテゴリの記事
- 野口悠紀雄『2040年の日本』幻冬舎新書(2024.01.15)
- 蟹江憲史『SDGs(持続可能な開発目標)』中公新書(2023.02.21)
- 青木雄二『ボロ儲け経済学 ゼニのカラクリ明かします』知恵の森文庫(2023.02.21)
- 池上彰『高校生からわかる「資本論」 [池上彰の講義の時間』集英社文庫(2023.02.08)
- 大竹文雄『行動経済学の処方箋 働き方から日常生活の悩みまで』中公新書(2023.02.04)
« 佐藤卓己『八月十五日の神話-終戦記念日のメディア学』ちくま新書 | トップページ | 藤森益弘『ロードショーが待ち遠しい 早川龍雄氏の華麗な映画宣伝術』文藝春秋 »
コメント