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2015年10月10日 (土)

木田元『反哲学入門』新潮文庫

 「哲学」というのは、やはり西洋という文化圏に特有の不自然なものの考え方だと思うからです。

「哲学」という言葉自体が、西周による明らかな誤訳なんです。

デカルトの言う「理性」は、われわれ日本人が「理性」と呼んでいるものとはまるで違ったものなのです。

西洋哲学はすべて、プラトンのテキストへの注釈

もともと、多数決による民主主義というのは政治理念ではありえないのです。

キリスト教は民衆のためのプラトン主義にほかならない

「大全(スンマ)」とは初学者向けの教科書のとる一つの形式だそうです。

デカルトの言う「理性」は、神によってわれわれに分かち与えられたものであり、われわれ人間のうちにありながらもわれわれのもつ自然的な能力ではなく、神の理性の派出所とか出張所のようなものなのです。

これはカントが『純粋理性批判』で、理論的認識の問題を考える場面に神や神的理性をもち出すのはおかしいと主張し、神の存在を否定しているように見えるからです。

ヘーゲルを最大の論敵にしていたショーペンハウアー

ニーチェ、われわれが「哲学」というところを、彼はプラトニズムと言います。

ハイデガーは後年この「ナトルプ報告」を、「『存在と時間』の最初の下書き」と呼んでいました。

デリダが哲学の代表としてフッサールを取り上げ、それこそ反哲学としての脱構築によってそれを批判したのではないかと思わせる。

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