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2015年11月 4日 (水)

今村仁志『群衆―モンスターの誕生』ちくま新書

人間が寄り集まるだけでは群衆ではないのです。

二十世紀のおぞましい政治的現実は、群衆社会の結果でありますが、これに対して理性はまったく無力であったことは明らかです。

自分が群衆になっていることにまったく気づくことがないとき、いかなる精神も思想も、群衆的全体主義と同様に相当のあくどいことをやるものだ。そしてこのことは、今も変わりはないといっていいでしょう。

ホルクハイマーとアドルノの言葉を使うと、近代理性は「道具的理性」に変質するといってよいのですが、まさにこの道具的理性こそ群衆的理性なのです。

群衆はなんらかの社会的危機から生ずるものです。

群衆なるものが脚光を浴び始めるのは、どうやら、フランス革命からのようです。

ドストエフスキーの小説群はことごとくサクリファイス小説と言っていいほどです。

ハイデガーの現存在分析なるものも、究極的には、群衆化した人間からの脱出の哲学的試みということができます。

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