今村仁志『群衆―モンスターの誕生』ちくま新書
人間が寄り集まるだけでは群衆ではないのです。
二十世紀のおぞましい政治的現実は、群衆社会の結果でありますが、これに対して理性はまったく無力であったことは明らかです。
自分が群衆になっていることにまったく気づくことがないとき、いかなる精神も思想も、群衆的全体主義と同様に相当のあくどいことをやるものだ。そしてこのことは、今も変わりはないといっていいでしょう。
ホルクハイマーとアドルノの言葉を使うと、近代理性は「道具的理性」に変質するといってよいのですが、まさにこの道具的理性こそ群衆的理性なのです。
群衆はなんらかの社会的危機から生ずるものです。
群衆なるものが脚光を浴び始めるのは、どうやら、フランス革命からのようです。
ドストエフスキーの小説群はことごとくサクリファイス小説と言っていいほどです。
ハイデガーの現存在分析なるものも、究極的には、群衆化した人間からの脱出の哲学的試みということができます。
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