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2016年5月

2016年5月30日 (月)

アルフレッド・スターン『歴史哲学と価値の問題』岩波書店

運命の女神は、後にマキャヴェリが教えたように、気まぐれな貴婦人だからである。

ヘーゲルは『法の哲学』の中で、「ミネルヴァの梟は夕暮の迫るころはじめて飛び立つ」という有名なテーゼを語った。哲学は事後になってようやく、学問的解釈の仕事にとりかかることができるで、哲学は出来事の進行に影響を与えるには、「いつでも遅刻する」と言うのである。

サルトルの実存主義に即していうと、人間の実存が人間の本質に先駆ける。

ヘーゲルとマルクスは、この偉大なギリシア人の教えから、彼らの哲学的歴史観の核心的原理、すなわち弁証法の法則を引き出した。

これらの人びとがおこなった聖書本位の歴史解釈に対してカール・ヤスパースが下している判断も、これにおとらず手厳しいものである。彼自身は決して無神論者ではないけれども、この思想家は「これらはみな象徴であって、事実ではない」と書いている。

マルクスとエンゲルスの著書の中では、イデオロギーは専らブルジョアジーだけに限られた現象として現われている。

「力が法に先立つ」という原理も、やはりヘーゲルによって是とされている。

ハンガリアの傑出した共産主義思想家ゲオルク・ルカーチ

美しい虚偽よりも醜い真理

2016年5月29日 (日)

八田進二他『鼎談 会計のいま、監査のいま、そして内部統制のいま日本経済を支える基本課題とは?』同文舘出版

こうした情報のディスクロージャーの仕方に関連して、昔は「明瞭性の原則」という言い方をしていましたが、現在では「適切な開示」という考えが、飛躍的に発展してきています。

染谷恭次郎先生は、「会計の論文では、自らの主張を具体的な仕訳の形で示すことができなければならない。」といわれていました。

さらに面白いのは、ノーベル経済学賞についてみれば、ケインジアンの代表者であるサミュエルソンがノーベル賞を受賞している一方で、彼とは真逆の立場をとるマネタリストの総帥であるフリードマンもノーベル賞を受賞しています。まったく主張の異なる学者がともにノーベル賞を受賞しているのです。

最近では、日本を通り越して、直接、アングロサクソンの国に行ってしまった方がよいという判断もされてきています。つまり、日本に対して、批判するという視点での「ジャパンバッシング」ではなくて、相手にしないでスルーするという意味で「ジャパンパッシング」という状況がみられるようです。

日本の会計学の祖といわれた太田哲三先生の有名な言葉に、「心せよ。数字は嘘を言わぬもの」という箴言があります。まさに、至言だと思います。

アメリカでは、不正事案について考えるときに、不正が起きてから発見するのでは遅いということで、不正の問題はそれを起こさないための方策、あるいは、仮に起きた場合でも早期に芽をつみ取らなければいけないという考え方をもっており、不正問題は予防・防止・早期摘発が何よりも大事なのだと考えています。

トレッドウェイ委員会報告書・・・・・この中には不正をなくすために各関係当事者が取り組むべき対応策として、全部で49の勧告が盛られています。・・・・・多岐にわたっての実践的な改善勧告を提示しているのです。そして最後にたどり着いた結論として、このような不正を防止するために課題として一番重要なのは企業の内部管理体制について、すべての関係者の共通認識が不可欠であるということ。それは内部統制といって、これまでいろいろな立場での議論はされていたものの、共通の概念として捉えられていないことから、内部統制のフレームワークを明確にしなくてはならないとの勧告をしています。

小栗崇資『コンパクト財務会計 クイズでつける読む力』中央経済社

企業(enterprise)と会社(company)とは同じでしょうか。営利目的で経済活動を営む事業体のことを企業といいますが、企業には個人企業と法人企業があります。法人企業のことを一般に会社というので、企業と会社が示すものは違うものとなります。

大陸型とは、ヨーロッパ大陸で生まれた、主としてドイツやフランスに代表される経済のタイプです。それに対する英米型とは、アメリカやイギリスを中心としたアングロサクソン諸国における経済のタイプです。根本的な違いは歴史の長さにあるということができます。大陸型は長い歴史がありますが、英米型(イギリスを別として)は、新大陸でのアメリカに代表されるように歴史は浅いといえます。

時価評価が行われると、貸借対照表の利益と損益計算書の利益が一致しなくなります。・・・・・それぞれの利益は一致していますが、このような一致を「連携」といいます。複式簿記の仕組みの中では、資産・負債の要素と収益・費用の要素は連動していて、利益が生まれる過程は明らかです。そうした関係は「クリーン・サープラス」関係と呼ばれます。サープラス(剰余=利益)が見える形で(クリーンに)現われるからです。

経済学から見れば、企業に入ってくる資金はすべて資本とみなされます。・・・・・経済学ではすべての資金が資本として企業に投入されると見るわけです。

2016年5月27日 (金)

野間宏『親鸞』岩波新書

大衆(衆生)支配のために用いられた仏教を寺院から引き離し、大衆(衆生)のただ中に解き放った人なのである。

仏教の理論の中心にすえられているダルマ(法)が仏教固有のものではなく、古代インドの人々の宇宙と生活の秩序を統べる根本にあるものであって、・・・

津田左右吉はおそらく言うに違いない。「『歎異抄』は親鸞の書いたものではない」と。

『歎異抄』は、万人に入ることのできる言葉・文章でもって、すさまじい戦闘的といってもいいような激しさで、・・・

悪人正機説として、つまり、悪人こそが浄土に行きつける機(仏の教えに触れて発動する精神的心的な能力)をもっているという・・・

親鸞にとっては信こそは第一に位するものである。

親鸞は旧仏教のなかにあった呪術的なものを徹底的に排除しようと全力を傾けたのである。

十五年戦争と名づけられる、日本がその最初の突出を行なった戦争中、日本の仏教とはその仏教の根本思想から見て決して認めることのできない戦争協力を行なったのである。

ランゲ・アイヒバウム『天才 創造性の秘密』みすず書房

天才たちの間には何一つ共通点がない。

放射線の発見者レントゲンにしても、それは自分の研究室において「別の人」が偶然発見したものであって、・・・

天才は決して遺伝するものではない。

天才と天賦とは別物である。

天才とは実にヨーロッパ的な概念である。

物理学者プランクの量子論は一流の専門家の間ではアインシュタインの相対性理論よりも確実に高く評価されているけれども、・・・

芸術保護者が決定的な意義をもつことも多い。

G・ナポリターノ他『イタリア共産党との対話』岩波新書

グラムシほどりっぱに労働者階級の革命的役割についての建設的なヴィジョンを言い表した人はいないのです。

レーニンは、農民がもはやかれについてくる気がなくなっていることがわかったとき、政策をかえました。なぜならば、大きな同盟がなくては、前進できないことを知っていたからです。

「レーニン主義」というこの言葉は、ジノヴィエフによってつくられ、ついてスターリンによってとりあげられたのです。

立花隆『日本共産党の研究[三]』講談社文庫

自らを反革命陰謀の首謀者と告白して処刑された一人であるブハーリンは、・・・

スターリンならびに彼に指導されたコミンテルン指導部は、一貫してファシズムを過小評価してきた。三二年テーゼが、「迫り来るファシズム」を実体がない「幽霊」と評価して、ファシズムより主要な脅威は資本主義を左から支えている反革命、社会民主主義者であるとしていたことでもそれはわかろう。

共産党の党史で多用される述語は、「-の宣伝をおこなった」「-と主張した」「-をあきらかにした」「-と呼びかけた」といったものである。要するに、共産党が何をしたかではなく、何を語ったかが主なのである。

網走というのは農園刑務所と言いましてね、農作物を作る刑務所なんですよ。

2016年5月25日 (水)

大橋禅太郎・雨宮幸弘『秘伝すごい会議』大和書房

この「献身の覚悟」を、「すごい会議」ではコミットメントと呼びます。

アメリカ合衆国大統領就任の儀式で、新人大統領は最後に「so help me God」と言います。「やることやるから、最後は神様助けて」

情報共有の会議は会議とは呼びません。それは、連絡会です。

会議は、「意思決定をする場」「約束を尊重する場」「問題を解決する場」です。

経営が上手な人は、必要な人以外は会議室に呼ばないのです。

「すごい会議」をアメリカで創ったハワード・ゴールドマン

市井三郎『歴史の進歩とはなにか』岩波新書

アルジェリア解放の闘士であった黒人、故フランツ・ファノン

プラトンは古代ギリシャ史ではじめて、歴史の明確な段階的変化(価値的に中性の意味での段階的発展)を見出した人である。

中国人は歴史を本質的に循環するもの(春夏秋冬のような循環)としてとらえていた。

ジョン・ロックの宗教的寛容論においても、キリスト教諸派のあいだの寛容が説かれたのであって、回教にたいしては、いぜんとしてロックもきびしく不寛容であった。

ヴォルテールなどが、自分の書斎に終生、中国の孔子の肖像画をかかげていた、・・・

人間精神の歩みをより迅速に、より確実に、より容易ならしめる手段はすべて印刷術のおかげである。

印刷術はそもそも、グーテンベルクより千年以上も早く中国で発明されたものであり、金属活字による印刷術に話をかぎっても、その技術はやはりグーテンベルクより九百年ほど前に朝鮮で発明されている。

マルクスが、人間史の過程と狭義の自然史の過程とを、本質的に同じとみなしたという点は、いまさら説くまでもないだろう。唯物論だからだ。だがマルクスのは、弁証法的唯物論であった。

コンドルセの弟子であったサン・シモンや、サン・シモンの弟子であったオーギュスト・コントらが、・・

だから近代市民革命の思想的父祖たるジョン・ロックの諸著述には、「平等」理念の主張はおよそないのである。

現在法哲学界の最長老であるハンス・ケルゼンが、《わたしには正義とは何かを定義できない》と慨嘆したほどの難問なのである。

立花隆『日本共産党の研究[二]』講談社文庫

マルクス主義の理論は一見おどろおどろしいようだが、実は単純な二分法概念の組合せの上に構築されているからきわめて図式的である。したがって、頭が単純な人にはきわめて入りやすい。

マルクス主義が二分法概念から逃れられないのは、その基礎に、弁証法を置いているからである。

二分法概念はマルクス主義の強さであると同時に弱さである。その弱さは、中間項をうまくハンドリングできないことにあらわれる。

何よりもまず天皇制を倒せというのが三十二年テーゼのエッセンスである。

党員たちが自分の頭で考え、自分のことばをしゃべる政治集団にならないかぎり、共産党はいつまた昨日までとはまったくちがうことを、明日から主張しはじめるかもしれない政治集団であるというのが、歴史の教えるところである。

トロツキーにしろ、ブハーリンにしろ、あるいは死後のスターリンにしろ、いったん権力の座からころげ落ちると、過去にさかのぼってその男がいかにひどい男であったかということが徹底的にバクロ・キャンペーンされる。

共産党に民主集中制という組織原則が・・・

責任はまず主体性においてあるというのが責任論のイロハである。

「マルクス主義は闘争形態を選ばない」としたレーニンのように、基本的にはすべてが許されていると考える者がある。

「八項規律十大注意」として有名な厳重な規律を紅軍に守らせた毛沢東のような指導者もいる。

戦後の共産党の二段階革命論は、戦前の天皇制に代えて、アメリカ帝国主義を持ってくる。

ソビエト同盟は、世界のプロレタリアートの祖国だからである。

ロシア民族の英雄崇拝的映画、エイゼンシュテインの「イワン雷帝」

野坂参三がアメリカ経由の地下ルートで日本に送り込んだ「日本の共産主義者へのてがみ」(1936・2・10)は、日本の人民戦線史上、最も有名な歴史的文書であるが、・・・

政治の論理は、詮ずるところ、「お前の敵は殺せ」というにあると埴谷雄高は喝破したが、・・・

マルクス主義とは単なる経済学上の理論ではなく、理論と実践を不可分のものとするところに、その思想としての真骨頂があり、・・・

マルクス主義は正しいという信念と、実践運動からは手を引くという決意は、マルクス主義の論理においては両立しがたいものである。

福本イズムを契機として、労農派が分離してからは、共産党系インテリの観念主義的傾向はますます深まった。

同じ宗教の中でも、自力救済をいっさい否定する点において、親鸞の教えはマルクス主義とは大局的な立場に立つ。

2016年5月23日 (月)

西澤健次『ホスピタリティと会計』国元書房

そもそも貨幣評価の公準は、ギルマンに由来するが、その後の会計公準においては疑義が生じている。

イールド・マネジメントは、顧客の価格に対する欲求の個人差を解消し、顧客の満足度を上げると同時に企業利益を最大化する点で、ホスピタリティ経営・会計の実践であるともいえる。

クレドとは、ラテン語でキリスト教の信条のことであるが、企業におけるクレドとは、ありていにいえば、従業員の仕事に対する心がけのことである。

茶道の「一期一会」という思想は、おもてなしの基本とされていることはよく知られている。

『資本論』それ自体が、肝心の資本を語っていないところに問題がありそうである。山本は「資本とは何であるのか、これが実はまったくはっきりしていない。マルクスは『商品論』は書いたが、『資本論』は書いていないのだ。(中略)手紙でマルクスは『資本については書かない』とまではっきりといっている。」と記している。

大江志乃夫『徴兵制』岩波新書

世界のうえでも日本史のうえでも、戒厳令の歴史と徴兵制の歴史とは密接な関係を持っている。

アメリカ独立戦争は、イギリス正規軍とアメリカ民兵との戦争であった。

日本は植民地を獲得したあと、植民地には徴兵令を施行しなかった。

モルトケの愛弟子であるメッケルが陸軍大学校で兵站の講義をしたとき、・・・

2016年5月21日 (土)

小田実『歴史の転換のなかで ―21世紀へ―』岩波新書

ソビエトが東ヨーロッパの社会主義国をまとめ上げて「コメコン」(東ヨーロッパ経済相互援助会議)というような経済共同体をつくり上げようとしたがうまく作動していないし、・・・

「ブラック・パワー」の最大のスター、クリーバー氏が熱心なキリスト教信者になったりするというようなことが起こったりする。

毛沢東の『矛盾論』が彼の思想の集大成です。

私は延安時代の中国共産党がその歴史のなかでもっとも民主的で自由、平等な共産党であったような印象をもつのですが、・・・

・・・・・パレスチナ人を追放し、「ディール・ヤシン」の虐殺をひき起こす。

金日成氏の「主体」思想、カストロ氏の「第三世界」の概念の創出、チトー氏の「非同盟」思想

マルクスのもっとも偉大なところは・・・・・なんと言っても当時の資本主義社会の「実地勉強」を克明にやって、そこから「剰余価値の創成」というそのメカニズムの根もとにあるものを抽出したことにあるのだと私は思います。

私は「初期マルクス」よりはるかに「後期マルクス」を重視します。

金芝河の解放思想は彼のカトリック神学にもとづいた世界観の帰結であるという事実で・・・

2016年5月17日 (火)

戸井田道三『観阿弥と世阿弥』岩波新書

『太平記』という名称そのものが戦争の反対であることによって・・・

観阿弥も武家貴族を顧慮しなかったわけではないが、田舎・遠国の観衆をだいじにしていた。これにくらべると世阿弥は貴人にうけることをいっそう尊重している。

『花伝』の「年来稽古条々」の教育課程が、生活史的にも教育心理的にもよくできていて、現在の学校教育と比較してもおかしくないことである。これは観阿弥ひとりの経験や考えによってできたものでないことはあきらかだ。観阿弥が自分の経験を生かして、ねりあげたものだとしても、先人の経験がつみあげられていないと、こういう生理・心理に透徹した教育課程はできるはずがない。おそらく共同体生活における年齢階層による教育的な慣習がさきにあって、能の稽古をそれに適応させたのにちがいない。

沖縄にもアカマタ・クロマタという鬼がニライカナイという聖地からやってくるという行事があり、・・・

『太平記』を読んで驚くことのひとつは、じつに多くの中国の説話が紹介されていることである。

『今昔物語』をみてもわかるように、何世代かにわたって中国説話は口頭で伝承されてきたと考えられる。

『花伝』は競争相手とどうたたかうかの戦術論あるいは一種の組織論としての一面をもっていたこともたしかだ。

観阿弥・世阿弥にとって「花」という概念は能芸美の核心的な概念であった。

芸が芸たりうる美とは何かという問題に解答をあたえようとして苦労しているところに『花伝』の真のねうちがあるのであった。

その稽古のめざすものが花であったので、花が何であるかが身体以外のもの、つまり頭脳で理解されないと、稽古そのものが無意味になってしまうかもしれないそういう概念を花と呼んだのである。

観阿弥と世阿弥の考えかたのちがいを整理していえば、一つは観阿弥が九項にわたって説いた物まねを、老・女・軍の三体物まねに要約変化させていること、二つには、体と用という概念を明確化し、幽玄美を対象的な美、つまり実体的なものから作用的なものにふりかえて把握したこと、この二つとなる。

公をオオヤケというのも家を中核とした観念である。

江戸時代の大名を相手にした最高位の遊女である太夫も、・・・

渡辺洋三『法というものの考え方』岩波新書

選挙運動は、前の選挙が終ったときから始まっている、というのもすでに常識である。

法の支配は、権力者の意思のうえに法をおく。

権利はつねに行使するこによってのみ守られるものである

「権利の社会化」すなわち「公益優先」の思想は、かつて容易にファシズムや全体主義へとみちをひらくものであった。

法とは、結局のところ、解釈という操作をつうじて「これが法だ」といわれたところのものである。

立法の段階では、法規のことばの意味の確定が必要であるといっても、その確定は一般的確定にとどまるのであって、個別的確定ではない。立法により一般的に確定された意味を、個々の具体的事実に即して個別的に確定してゆく作業が、法の解釈・適用といわれる。

裁判所は、この意味で、解釈決定機関なのである。

法とは、とりもなおさず、裁判所がこれが法だとしたところのものである、という規定には、重要な真実がある、といわねばならない。

2016年5月16日 (月)

松田道雄『女と自由と愛』岩波新書

男も女も家の外で働くことを人間としての資格のように思わせるのは、社会主義のかんがえ方の普及です。社会主義は心情的に有閑階級に反撥して生まれましたから、「働かざるもの食うべからず」を信条にしています。

マルクス派が人間生産の場としての家庭をあまり重大にかんがえていないことからくるのでしょう。

社会主義を信じる人は外で働いている女の人を専業主婦よりも進歩的な自立した人間であるとし、専業主婦を生産に役立たない「働かざるもの」とみたくなるようです。

理論というのは一種の作文です。論理の正しさが結論をみちびくというより、はじめからきまった結論にむかって、どう論理をくみたてるかが理論です。

人間は生まれながらとうとい、と自然法はいいますが、その自然法もまた人のきめたものです。

最終的には力によってきめることが、権力にとっていちばんいいのだというのは、マキャヴェッリの思想です。

男たちがもちつづけている上昇志向と所有欲とが、人間のすべてにそなわっているという前提から、マキャヴェッリの思想は出発しています。

加藤弘之

少数の強者の気まま(自然)を多数の弱者の申し合わせ(人為)でふせぐのが民主主義です。

山川均

現在の社会主義理論のどれもが、差別についてかんがえていないことは、レーニンがユダヤ人の政治団体ブンドをみとめなかった時代からつづいています。

大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』岩波新書

マルクスはその『資本論』第一巻第二版の後記においてヘーゲルを「偉大なる思想家」とよび自分が彼の弟子であることを一生の光栄とし、・・・

有名なテーゼの第十一にマルクスが「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである、しかし肝腎なのはそれを変えることである」といっているが、・・・

『共産党宣言』とは、一言でいえば、プロレタリア階級の本質を歴史の中にとらえ、彼らのいまの地位を示し、その上に立って彼らの運命と使命とを論じた文書である。彼らは将来必ず社会の主人となる運命をもっている、それゆえに自らの運動にはげみそれを戦いとれというのである。

『資本論』は価値論から始まる。

『資本論』は資本を論じた純粋な経済学であって、もともと政治的なイデオロギーの本ではないのである。

『資本論』は形式的には経済学であるが、本質的には社会主義の本である。

英雄崇拝を排斥するのがマルクス主義である。現にマルクス自身も世の中から特別の英雄のように自分が見られることを極力警戒していた。

『共産党宣言』はいまや世界の共産主義諸国の憲法のうちに、そして各国の社会主義政党の綱領の精神となって生きているからである。

マルクシズムの著作のうちで、いちばん有名なものが『共産党宣言』であるとすれば、一ばん出版部数の多いのはエンゲルスの『空想より科学へ』である。

シュムペーターはマルクスの偉大をあんなに認めているにかかわらず、マルクスの経済学はまちがいでマルクスの資本主義崩壊説、プロレタリア窮乏説など一つもほんとうでないというのである。

大田昌秀『沖縄のこころ -沖縄戦と私―』岩波新書

十七世紀の中葉に羽地朝秀が「日琉同祖論」を唱えて以来、・・・

「GIジョー」の映画でお馴染みのアーニ・バイルが・・・

アーニ・バイルといえば、第二次大戦における最もすぐれた報道記者として、・・・

「ひめゆり部隊」の名で知られる沖縄師範学校女子部

R.ハロッド『社会科学とは何か』岩波新書

学生が創造性を発揮する最も重要な領域は、うまい冗談を飛ばすことです。これは品位を傷つけるものではありません。明らかに、ユーモアのセンスというのは、文明人の最高の資格の一つであります。

思索は、提起された問題に答える見込みが幾らかあるような事柄に限って許される

ピューリタニズムでは、「時間の浪費」が禁じられております。

アインシュタインの宇宙では、最後の端というのがないのです。

バークレー・・・・・カントより偉い哲学者ではないかと私は思います。

ラッセルは、彼の弟子のうち、ニコーの方がヴィトゲンシュタインより偉いと思う、と私に言ったことがあります。

私は、人間の性質の差異の主たる原因が遺伝的差異にあることを疑いません。

「自由」世界では、ロシアのような中央集権的計画経済を「共産主義」と呼ぶのが普通ですが、これは実は言葉の誤用で、中央集権的計画制度は「社会主義」と呼ぶべきです。

もしバートランド・ラッセルが生涯を経済学に献げたとすれば、彼はケインズの業績に匹敵するような価値ある仕事は一つも為し遂げ得なかったでしょう。バートランド・ラッセルには、ケインズのような強烈なリアリズムと根強い常識とが欠けていましたから。

社会学は科学と見るべきではありません。

後期のヴィトゲンシュタインも、ラムゼーの影響の下に、プラグマティズムへ導かれて行った。

2016年5月15日 (日)

J.B.モラル『中世の刻印―西欧的伝統の基盤―』岩波新書

歴史の研究者はすべておそかれはやかれ時代区分の問題に取り組まねばねらない。

ローマ社会の衰亡の主たる理由の一つとして租税の苛酷な重圧をとり上げている。

アウグスティーヌスの極度の個人主義の強調は、『告白録』の中に彼によって描かれている、精神的な確信を求めての強烈な個人的闘いの帰結であった。

チョーサーもその後半生における宮廷との関係にもかかわらず、元来町人出身の人であった。そして中産階級の小説家の巨頭であるボッカチオ自身も、『デカメロン』の中に多くの貴族的宮廷風恋愛の諸要素をとり入れている。

神の存在証明においてアクィナスは、理性的論証以外のいかなる方法をも使用することを拒んだ。

本郷孔洋『本郷孔洋の経営ノート2016 ~常識の真逆は、ブルーオーシャン~』東峰書房

常識の真逆を行けば、成長が待っている。

「おできとアパレルは大きくなると潰れる」・・・・・とっくにそんな常識は、関係ない規模になっているんですね。

単なる寄せ集めでなく、コア事業を中心とした多角化戦略が好業績

人が先、売り上げは後

国のGDPの差は、人口差だ。

男 所得税、妻 消費税、子供 相続税、孫 贈与税!

長谷川慶太郎『「戦争論」を読む 改訂版』朝日文庫

軍隊の性格と能力を決めるのは、経済と政治

「スターリン体制」そのものが「冷戦」の最も大きな原因であったという事実である。

戦前の日本で「軍事科学」研究が著しく立ち遅れたのは、実は軍人、特にその中核である現役将校の教育を極度にせまい「軍事学」一本に集約してしまい、今あげた政治、経済、社会全般にわたる広い視野の養成を拒否したことと少なからず関連している。

クラウゼヴィッツは「戦争指導」の責任を負うものは、「内閣」であって軍事当局ではないと言い切った。

クラウゼヴィッツを最も有効に利用したのが、レーニンの指導する共産党

クラウゼヴィッツが『戦争論』の中で、「政治」が軍事よりも一段上の地位にあることを明示した点は、今日においてもまだ生きている。

『風と共に去りぬ』は、南軍にとって最も重要な根拠地の一つ、ジョージア州都アトランタが舞台である。

レーニンですら『戦争論』を熟読し、それについての論評を『哲学ノート』の中でまとめている。

実は、ドイツ、日本とも、この戦略爆撃によって国民の抗戦意思が消滅し、かつ軍需生産が崩壊状態に達したという事実がない。ナチ・ドイツが崩壊したのは、結局戦略爆撃によってではなく、連合軍が地上でドイツを東西から進攻して、ベルリンを占領し、ヒトラーが自殺したからである。

治に居て乱を忘れず

2016年5月14日 (土)

渡辺正雄『日本人と近代科学―西洋への対応と課題―』岩波新書

「世界のはて」に突入してしまうと言って、引き返すことを強くコロンブスに迫ったという。

山川は日本における最初のX線実験者である。

お茶を飲むという一事にも、自然を賞でることを忘れない日本人と、効率とスピードを旨とするアメリカ人との相違・・・

日本の場合、19世紀半ばに開国して西洋の学術や文物を摂取することに急なあまり、これまでに得られた知識、できあがった学問の体系を西洋諸国から学び取ることに主力を傾けることになり、知的・精神的営みとしてのその機能や性格を顧みることはほとんどしてこなかった。また、すでに専門家した個々の分野を大急ぎで個々的に取り入れたため、諸分野の間の相互の関連とか、西洋の思想・文化全般の中での位置づけといったことを、考えてみるいとまもなかった。

教育を受ける側からすれば、個々の分野についてはそれぞれ相当に専門的なことを課せれるが、その全体的な境位とか全体を貫く関連性とかについては、それを明らかにしようとする特別の努力を自分でするのでないかぎり、皆目わからぬままに学生時代を過ごしてしまうということになる。「木を見て森を見ず」に終わってしまうのである。

池田潔『自由と規律 -イギリスの学校生活―』岩波新書

イギリス国民性の最もいちじるしい特徴は、彼等が常に好んでそれを語ることである。

イギリス人文史は、端的にいって、個人の自由獲得の歴史である。

罪を犯したら男らしくこれを認めて罰を受けよ。

末川博『法と自由』岩波新書

国家は法人であって天皇はその機関であるということを美濃部達吉などが学問的に説かれていた。

学問というものは常識を是正するところに値打ちがあるのだが、・・・

日本国憲法に保障されている基本的人権を守りぬくために闘うことは、まさに日本国民の義務であるといえるであろう。

真実をとらえる科学の方法は、ポアンカレの説くように、観測と実験とによるほかはないであろう。

かつての国家機関の専横を防止して国民の自由を確保するための政治的組織原理としていわゆる三権分立が強調されるに至ったことを思いあわせれば、・・・

正義のための学問、それが法学である。

立法と司法と行政と。これらを三権分立といって分けている建て前からいえば、立法がよくなければ、司法も行政もよくなりようがないのである。

2016年5月13日 (金)

沢田允茂『現代論理学入門』岩波新書

ロジックという名前でよばれるようになったのは13世紀ころになってであって、・・・

カントはその『純粋理性批判』の序文のなかで、論理学という学問をアリストテレス以来、後戻りもしなければ進歩もしない「完成されていると思われる」学問として挙げている。

カントの時代の哲学者たちは、その真偽が経験に依存し、また経験の拡大とともに拡張されてゆくような人間の知識の領域を綜合的syntheticその真偽が経験に依存しないで、いわば先天的に人間のなかに在ると考えられた論理の法則だけに従って決定されるような知識を分析的analyticとよんだ。

ラッセルはウィトゲンスタインの『論理哲学論考』の序文のなかで言語のレベルの区別についてのべているが、・・・

ウィトゲンスタインは、世界は物の総体ではなくて事実Tatsache,factの総体であるという。

2016年5月12日 (木)

畑中武夫『宇宙と星』岩波新書

むかしから、星を明るさに従って、一等星、二等星などと呼んできた。

一光年は光が一年かかって到達する距離だ。

ぞう、わに、とら、などの名がないのは、星座の名が始まった土地が、エジプトやインドでなかったことの傍証だと言われている。

ウランは存在量が非常に少く、探すのになかなか骨の折れる元素である。

その昔カントやラプラスは、太陽系は渦巻くガスの雲から生れたと考えた。

上田篤『日本人とすまい』岩波新書

日本建築は屋根、西洋建築は壁

ヨーロッパの建築の歴史は、窓との格闘の歴史である。日本の建築の歴史は、柱との格闘の歴史である。

「家のつくりようは、夏をむねとすべし」といった兼好法師のことばが、・・・

木造住宅に大きな変革がくわえられる契機となったもののひとつは、関東大震災である。

昭和34年から、わが国では尺貫法を廃し、メートル法を専用・・・

2016年5月11日 (水)

日本マーフィー普及会編『続・マーフィーの法則 現代日本の知性』アスキー出版局

失敗する可能性のあるものは、失敗する。

ヒーローが必要なら、1ダースほどの悪役を作り出さねばならない。

棚卸しは一回だけ勘定する。二回以上数えたら、迷うだけだ。

休暇の楽しさは前日の晩に最高潮に達し、休暇が始まるとともに急速に低下する。

修正液が乾いているかどうかは、上書きしてはじめてわかる。

うまくいっているのかどうかわからないときは、うまくいっていない。

吉田和夫『ドイツ経営経済学』森山書店

企業は 危険負担者としての企業者から独立し、完成された有機体

決定はまさに管理である。

生産能力拡大効果については、いわゆる「ローマン・ルフチ効果」として、余りにも有名である。

ニックリッシュがベルリンを、シュマーレンバッハがケルンを、シュミットがフランクフルトをそれぞれ牙城にして、・・・

樋口陽一『比較のなかの日本国憲法』岩波新書

「国体」とは、治安維持法で極刑の制裁をもって保護された法益であり、明確な法的概念―だったはずである。

ノモス=法

東西の二超大国による世界分割のヤルタ体制

憲法とは、いってみれば一国の政治というゲームの基本ルールである。

79年7月3日の連邦議会では、ナチスの犯罪を永久に訴追できるようにするために、すべての殺人犯罪についての公訴時効を廃止する刑法改正案が可決された。

日本国憲法は、憲法とはあくまで国民の側が国家に対して注文をつけるためのものであり、「憲法をまもる」ことは、本質的に、国家の権力機構を構成する公務員に対して国民の側から要求すべきであってその逆ではない、という古典的立憲主義の見地を、あえて維持しているのである。

近代立憲主義の確立段階でいわれる自由とは、国家からの自由であり、私人間でいとなまれる社会関係への国家の立入禁止をつらぬくことを内容とする。

国があって村があるのではありませんよ。人が住み、村が生まれて、それから国ができたのです。

色川大吉氏によってほり起こされた五日市の農民たちの憲法草案が、・・・

森嶋通夫『続 イギリスと日本 -その国民性と社会―』岩波新書

日本の近代史は、親英派と反英派の闘争史であったともいえます。

日本歴史の全期間にわたっていえば、日本は非常に熱心に大陸に文化の買出しに行ったというべきです。

韓国の場合、奥さんは入籍していてもご主人と同じ姓になりません。

ヨーロッパの社会の中で、最も女尊男卑の国はイギリスです。

イギリスでは、職場では女性を差別していますが、家庭では男性がこきつかわれてます。

日本が東洋の中で、いちはやく西欧的経済発展をなしとげたことの背後には、日本の家族構造が伝統的に一夫一妻制に非常に近い状態にあり、西欧社会とよく似た社会構造が発展開始前にすでにほぼ整備されており、その基礎構造の上に近代工場制がうちたてられたという事実があったことを忘れてはなりません。

鎖国と参勤交代と学問(とくに儒学)の振興は、徳川政府が200年以上にわたってとり続けた三大政策でありました。

明治維新はあくまでも下からの革命であり、しかも地方からの革命です。

イギリス人の考え方の背後には、キリスト教があります。

マルクスが『資本論』の中で激怒したことの一つに、資本主義初期の苛酷な児童労働がありますが、・・・

放送大学は、高等教育の分野で、戦後イギリスがなし遂げた最大のイノベイションであります。

ノーベル賞は学問の全分野をおおっていません。

ウェーバーは中国の儒教は資本主義に適合的でないと考えております。

経済学がイギリスを中心にして発展・・・

経済学の運命を決定づけた学者はスミスとリカードオですが、・・・

日本の労働組合はイギリスの組合のように産業別、職種別ではなく、企業別であります。

2016年5月10日 (火)

河盛好蔵『エスプリとユーモア』岩波新書

18世紀のイギリスはきわめて独創的なユーモア文学の開花した時代であることはよく知られているが、・・・

友人の不幸には常にわれわれを悦ばせるなにかがある(ラ・ロシュフコー)。

黒いユーモアの始祖と一般に考えられているのはジョナサン・スウィフトである。

神聖にして犯すべからざるタブーというものがある。その大きなものを五つだけあげると、子供、老人、国旗、宗教、死である。

ジョージ・オーウェルの『動物農場』

宮田光雄『現代日本の民主主義―制度をつくる精神―』岩波新書

1788年の合衆国憲法は、現存の各国憲法のなかでも、もっとも徹底した権力分立の形式を採用している。

信教の自由を保障する新憲法20条の規定が、「思想及び言論の自由」(19条)と「集会・結社及び言論・出版その他一切の表現の自由」(21条)にはさまれて、その真中に位置づけられているのは、まことに象徴的である。

19世紀いごのナショナリズムの問題をめぐっては、たとえば、F・マイネッケのいわゆる《文化国民》と《政治国民》という有名な区別がよく知られている。

ホー・チ・ミンの《十二の勧告》が、ベトナム戦争における民族独立革命の民衆的闘争の精神的基盤をなしていることも・・・

ガンジーやマーティン・ルーサー・キングのストラテジーの特徴は、さし当り理性的に訴えかけえない民衆グループを非暴力行動の強制手段によってのみならず、なかんずく彼らの感情に訴えることによって、その態度を変えるように働きかけることであった。

村上信彦『日本の婦人問題』岩波新書

『平民新聞』といえば社会主義者の新聞である。

わが国の婦人の組織でいちばんふるいものは婦人矯風会である。

廃娼運動の発端は群馬県の安中町から起った。

日本の救世軍の建設者は山室軍平である。

竹村健一『マクルーハンの世界 現代文明の本質とその未来像』講談社

世の批評家、解説者たちは、活字文化の世界にいまも生きているからである。

彼の理論が特に注目されるのは、テレビの力をはじめて的確に解き明かしたからである。

マクルーハンは家庭でほとんどテレビを見ないという。

メディア自体が人間の考え方を変え、人間の生活様式を変えてゆく。

ラジオや新聞のように、多くの情報を伝達するメディアはホット・メディアであり、テレビやツイストのように、情報の量は少ないが、人々にインボルブメントを要求するものがクール・メディアである。

馬は乗り物としての役割を失ったが、娯楽としてカムバックした。

アイン・ランド

「国際人」などという言葉には「国」という差別観が根底に横たわっている。

メディアというものはマッサージ師のように「人間をもみほぐす」活動的プロセスであって、・・・

平原卓『読まずに死ねない哲学名著50冊』フォレスト出版

哲学とは「概念」によって共通了解を生み出していく営みです。哲学ではこのことを「共通了解の言語ゲーム」と呼んでいます。

「哲学は神学のはしため」という言葉があります。哲学は信仰を完成させるかぎりで価値がある。こうした考え方がスコラ哲学の特徴です。

イデアとは何かというと、あるものをそれたらしめている〝本体〟のことだ。

リヴァイアサンは神の被造物ではなく、人間がつくり出す制度である。

スピノザのいう神の本質を見てほしい。ユダヤ教やキリスト教の神とはまったく異なることがわかる。

ライプニッツの目的は、世界に調和をもたらす原理を示すことにある。

「白紙」(タブラ・ラサ)

プラグマティズムの意義を一言でまとめると、「真理」という観念を大きく転換したことだ。

フッサールが、哲学の最終的な根拠は、思考の「自律」にあると深く確信していたからだ。還元とは、その自律を哲学的な方法へと昇華させたものにほかならない。

ハイデガーは死の不安を正面から見つめることで、人は自分固有の生き方の可能性をめがけることができるようになると語る。

バタイユは、エロティシズムは人間に固有であり、動物には見られないと語る。

2016年5月 8日 (日)

岩崎昶『現代映画芸術』岩波新書

麻薬と麻酔的なロック音楽とモブとによる集団的なエクスタシーにしびれて知覚も思考も失っている40万の大群がウッドストックの本質だった。

ドラマについて言われたいちばん古いことばは周知のとおりアリストテレスのそれである。

画で言えないことはことばで言ってはならぬ。これがドキュメンタリー映画の原則だという考え方がある。

ネオリアリズムとは、一口に「レジスタンスの映画だ」と、・・・

思想的映画の旗をかかげたのが、ジョゼフ・スタンバーグであった。

2016年5月 6日 (金)

関口泰『国民の憲法』岩波新書

君主国が民主国になったのは、憲法改正によってはじめてそうなったのではなくて、敗戦の結果、天皇とその政府が、占領軍の最高司令官の権力の下におかれ、国民の自由に表明した意思に従い、その政府を樹立することを、降伏条件として受諾した時に決まったのである。

ただ日本国民としては、自由獲得の闘いを、その歴史経験の上にあまりもっていないので、過去の試練に堪えて、自由を守ったという、はっきりした記憶も浮ばず、自覚ももたないので、欧米人がもつであろうところの権利と自由尊重の感情がわかない恨みがある。

日本国民は、日本国憲法を確定したので自分であることを、まず自覚しなければならない。

憲法がいっているのは、政府の決意ではなくて、日本国民の決意なのだから、・・・

間接民主政治では、国民に主権があるといいながら、国民自身のなすところはただ議員を選挙するだけで、あとは議会万能で国民は被治者になってしまう。

戦争前の日本軍隊は、明治維新後に、その様式と装備をヨーロッパから入れたが、精神は七百年の武門政治と三百年の徳川封建制に養われた武士の伝統の上に、二千六百年の神話を加え、明治天皇の個性を中心に作り上げられたものである。

2016年5月 4日 (水)

吉本佳生『学校では教えてくれない 経済学の授業』PHP

読者が機会費用を正しい理解できら、ミクロ経済学(あるいは経済学そのもの)の本質をきちんと理解できたと言っていいでしょう。

100円ショップで高品質の国産商品がお得に買えるという現象の裏側には、価格は限界費用で決まるという理論があったのです。

通常、経済成長率と呼んでいるものは、この実質経済成長率です。

総需要の規模は「民間消費+民間投資+政府支出+輸出-輸入」で示されます。

基本的な公共財は政府が税金を集めて生産・供給するべきであり、それは政府の経済的な役割のひとつとなります。立法や警察や国防も政府の基本サービスに含まれるものであり、これらに役割を限定した政府を夜警国家と表現します。

2016年5月 1日 (日)

輪島祐介『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』光文社新書

「演歌」は明治二〇年代に自由民権運動以降の文脈であらわれた古い言葉

「歌謡曲」という呼称自体、レコード歌謡を放送するにあたって「流行歌」の卑俗な含意を嫌った日本放送協会が使い始めたものです。

昔のミリオンセラーは数千万人が知っていたが、今のミリオンセラーは買った人しか知らない。

現在の「演歌=日本の心」という「演歌ナショナリズム」の原型を生みだしたのは、五木寛之であるとさえいえるのですが、しかし彼の主張は、保守的・反動的な伝統礼賛とは全く異なる文脈で生み出され受容されたものでした。

1971年に改名し再デビューした「五木ひろし」の芸名は、いうまでもなく五木寛之に由来するもの

「演歌」とは、「過去のレコード歌謡」を一定の仕方で選択的に包摂するための言説装置、つまり「日本的・伝統的な大衆音楽」というものを作り出すための「語り方」であり「仕掛け」であった、ということです。

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