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2016年8月

2016年8月21日 (日)

山根節『数字で読み解くトップの手腕 なぜあの経営者はすごいのか』ダイヤモンド社

経営は、勝率で評価できないのだ。柳井正

「プロ」という言葉は、もともと西欧社会の三大職種であった聖職者、医師、弁護士に付けられた「プロフェッション」から由来している。

中間管理職はいわば「部分最適」の仕事をしている。

日本には捨てられないトップが多いが、「全体最適」を考えて「決める=捨てる」のがトップの仕事である。

経営と会計を統合して考える戦略概念に、「ビジネスモデル」がある。

ビジネスモデルを構成する四つのプロセス(クリステンセン)

  1. 顧客価値の提供(CVP)
  2. 利益方程式
  3. カギとなる経営資源
  4. カギとなる業務プロセス

岡田暁生『西洋音楽史 「クラシック」の黄昏』中公新書

川柳を持ち出すまでもなく、パロディとはある文化が爛熟した時期に生まれるものであるが、・・・

ホイジンガが『中世の秋』で描いた一四世紀は、絶望的な時代だった。

マックス・ウェーバーが指摘したことでも知られるように、万事派手好みのカトリックとは対照的に、プロテスタント文化は虚飾を嫌い、控え目で内面的なものを求める傾向があった。

美術でいえば、バロックにおけるカトリック文化とプロテスタント文化の違いは、ベルギーのルーベンスとオランダのレンブラントの作風を比べれば、一目瞭然だろう。

ルター以来の伝統として、プロテスタントにおいては「音楽は神への捧げものである」という考え方が強かった。

ヴィスコンティの映画『イノセント』の冒頭では、社交界のパーティーでリストの《エステ荘の噴水》やショパンの《子守唄》といったサロン音楽が弾かれる場面が現れる。

カントは音楽のことを「単なる快楽」としか考えていなかったし、・・・・・ところがショーペンハウアーとキルケゴール以後の哲学者たちは、諸芸術の中で音楽に最も高い地位を与えるようになる。

常緑樹(エヴァーグリーン)

2016年8月14日 (日)

鷲田清一『哲学の使い方』岩波新書

経営においてこれだけはゆるがせにできない、これを外したらこの会社でなくなるといった社是(コーポレイト・アイデンティティ)を貫いているのであれば、その企業には哲学があるということになる。

哲学は何から始めるべきか。これが多くの哲学者が最初にこだわる問題

胃の存在はふだんは意識されることはないが、胃がうまく機能しなくなるとはじめてその存在が意識に上ってくる。

哲学は、何かについて何ごとかを語るときに、同時に、その語りがどういう場所からなされているのか、またどのような権利根拠があってなされているのかということを、厳しく問う学問である。

ほんとうのプロというのは他のプロとうまく共同作業できる人のことであり、・・・

・・・そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることのできる人だということになる。

一つのことしかできないというのは、プロフェッショナルではなく、たんにスペシャリスト

アカデミズム内部での「哲学研究」に身を縮めていったこの国の哲学は、文献を「読む」ことに傾注し、時代を「みる」(視・診・看)ことをなかば放棄してきた。

イデオロギーとは「だれも正面きって反対できない思想」のことである。

専門家への信頼の根はいつの時代も、学者がその知性をじぶんの利益のために使っていないというところにある。

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