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2016年8月14日 (日)

鷲田清一『哲学の使い方』岩波新書

経営においてこれだけはゆるがせにできない、これを外したらこの会社でなくなるといった社是(コーポレイト・アイデンティティ)を貫いているのであれば、その企業には哲学があるということになる。

哲学は何から始めるべきか。これが多くの哲学者が最初にこだわる問題

胃の存在はふだんは意識されることはないが、胃がうまく機能しなくなるとはじめてその存在が意識に上ってくる。

哲学は、何かについて何ごとかを語るときに、同時に、その語りがどういう場所からなされているのか、またどのような権利根拠があってなされているのかということを、厳しく問う学問である。

ほんとうのプロというのは他のプロとうまく共同作業できる人のことであり、・・・

・・・そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることのできる人だということになる。

一つのことしかできないというのは、プロフェッショナルではなく、たんにスペシャリスト

アカデミズム内部での「哲学研究」に身を縮めていったこの国の哲学は、文献を「読む」ことに傾注し、時代を「みる」(視・診・看)ことをなかば放棄してきた。

イデオロギーとは「だれも正面きって反対できない思想」のことである。

専門家への信頼の根はいつの時代も、学者がその知性をじぶんの利益のために使っていないというところにある。

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