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2017年5月

2017年5月29日 (月)

フィリップ・デルヴス・ブロートン『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場』日経BP社

会計学においては、規則に固執することよりも常識を働かせることのほうがはるかに重要なのだ。

中国のような土地でビジネスをしてみるまでは、それについていくらもったいつけて話し合ってみても無駄。

経験だけが唯一、信用するに足る保守的な測定基準で、それ以外は空虚な数学的思考の所産なのだ。

ミヒール・デサイ教授が、自分の母親に説明できないなら、それはちゃんとファイナンスを理解していないことだと言っていた。

ある人物がどういう人間かはその人の銀行取引明細書とクレジットカードの使用明細書見ればわかる。

トヨタは何ごとをも取るに足りないこととして片づけなかったために、あれほどの成功をおさめたのである。

ビジネスは、潜在的に不実で嘘つきで泥棒根性を持った人間の営みであるという事実から逃れることができない。

代替案のない決定は、破れかぶれのギャンブラーの一投に等しい。たとえそれがどれほど考え抜かれたものであってもだ。

2017年5月24日 (水)

波頭亮『経営戦略論入門 経営学の誕生から新・日本型経営まで』PHPビジネス新書

経営のテーマが〝内から外へ〟と転換することによって、「経営戦略」という言葉が生まれた。

1960年代は経営戦略論が誕生した時代と見なすことができるのである。

ホフステッド指数

このグルッと回った矢印がポーターの5フォースフレームワークのシンボルである。

2017年5月19日 (金)

養老孟司『死の壁』新潮新書

もともとギムナジウムという言葉は「裸」を意味していたのです。

クラウゼヴィッツが『戦争論』で書いている通り、戦争に外交の手段という側面は間違いなく存在しているのです。

間引きに代表されるように、暗黙の了解のうえで目をつぶることがあったのです。

生きがいとは何かというような問いは、極端に言えば暇の産物なのだ、と。本当に大変なとき、喰うに困っているときには考えないことです。

2017年5月17日 (水)

田中弘『会計学はどこで道を間違えたのか』税務経理協会

戦後、わが国に移植された英米会計について、多くの会計学者が真摯な研究を続けた結果、近代(英米)会計の理論構造や考え方がほぼ解明されたことである。

わが国の会計は、制度も基準も英米のものを「輸入」したものであるが、わが国の経済環境に合うとか、わが国の風土や土壌に適合しているという理由で輸入したものではない。

資産除去債務・・・買った資産が100億円だというのに、BSに110億円と書くのは、普通の経済感覚を持った人ならだれもが「おかしい」と感じるのではないであろうか。

「連単分離」は世界の常識である。

資産負債アプローチが底なし・上限なしの損益計上(つまり利益操作)ができるのに対して、収益費用アプローチはキャッシュ・フロー(収入額と支出額)の範囲内でしか収益・費用を計上できないというリミッターが付いている。

日本企業が内部留保を高めるのは、一つには研究開発のための資金を用意することにあり、また不測の事態に備えるためである。

アメリカでは「概念フレームワーク」には会計基準としての拘束力を与えていない。

アメリカは、日本と同様に「細則主義」、つまり、細かなところまでもルールブックに書かれないと企業の会計報告ができない。

IFRSをそのまま採用しているのは、オーストラリア、ニュージーランド、香港地区という、昔のイギリス植民地だけである。

果たして、「IFRSに準拠して計算した包括利益」は、「当期純利益」よりも経営者の儲けの実感に近いのであろうか。

「公正価値会計」といった、伝統的な会計観からかけ離れた財務報告が(金融界はともかく)製造業には向かいないことが分かるにつれて・・・・・

会社法上は、連結は個別財務諸表を補足するための「参考資料」でしかない。当期の純利益を確定したり、その利益を誰にいくら分配するかを決める情報を提供したりといった利害調整機能は連結にはない。会社法上の連結財務諸表(連結計算書類)には情報提供機能しかないのである。

2017年5月15日 (月)

蓮實重彦・山内昌之『20世紀との訣別・・・歴史を読む・・・』岩波書店

ヘーゲルやマルクスが歴史的必然性という名の「法則」を見出した・・・・・そのヨーロッパ中心主義的な図式から抽出された「法則」は非ヨーロッパ世界のイスラームやアジアにそのままあてはまるものではありません。

宇野弘蔵の『経済学方法論』を読んでマルクスの『資本論』を原理論として理解すれば「経済法則」が抽出されるという指摘に感心したことがあります。

マンハイムを批判したアメリカの社会学者マートンが「一般大衆の知識状態」も「思想」の一形態だと述べたように、ある集団あるいはその一部が特有の「思想」や「知識」を特定の歴史事象についてもつことはありうるからです。

フランス史というものは存在せず、すべてはヨーロッパ史だ・・・・・ヨーロッパ史というものは存在せず、すべては世界史だ。

地中海への関心は、やはり中東・アフリカの植民地制服から来るんですね。

サルトルはドイツ占領下のパリをくまなく知っている。

アルレッティーはといえば、これはドイツ将校との熱烈な恋で浮名を流すことになる人ですし、・・・

綱吉将軍の時代、竹島に渡った日本の漁船と朝鮮人が衝突して談判になった時、儒者の林鳳岡が『日本書紀』や『三国志倭国伝』や『梁書』に竹島が出ていることを知らず、朝鮮側との論戦で屈したというのは残念な一例です。

2017年5月 8日 (月)

音部大輔『なぜ「戦略」で差がつくのか。』宣伝会議

経営戦略論の中でも戦略計画学派といわれるイゴール・アンゾフやアルフレッド・チャンドラーたちにとっての戦略思考は、不確実な外部環境への適応方法を示すものだった。

戦略を定義付ければ、「目的達成のために資源をどう利用するかの指針」となる。

戦略がある利点

  1. 効率的に資源を運用することで、効果的に目的を達成することができる
  2. 経験値を獲得できる
  3. 意思決定に役立つ
  4. 計画に一貫性と安定性が出る

達成すべき目的があり、資源が有限である場合に戦略が必要になる。

ヴィジョンとの違いは、ヴィジョンが目的の一形態として状態を示しているのに対して、理念は考え方や方針を示すことが多そうだという点である。

「目的」は効果的な再解釈をもたらし、結果的に解釈の余地がない「目標」となるのである。

戦略は目的と資源に規定される概念である。つまり、資源に基づいて戦略は定義される。

戦略があることで、目的が明確になる。少なくとも、なにが目的かわからないという事態は避けられる。

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