フォト
無料ブログはココログ

amazon

« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年11月

2017年11月28日 (火)

『信念・勇気・決断 座右の銘 自らの道をひらく―人生の要諦と叡智』本の泉社

現在は過去以外の何ものも含んでいない。そして、結果のなかに見出されるものは、既に原因のなかにあったものである。

人間の一生を支配するものは運であって、知恵ではない。

玄関を見ればその家の生活態度がわかる。

作業量が減りはじめたら、小休止することである。

毎日真剣に生きていなければ幸運などやってきはしない。

「まだ、よろしいじゃございませんか」といわれたときが、失礼して帰るタイミングだ。

見えないところで、私のことを良くいっている人は、私の友人である。

一世二世とは、仏教の考え方から出てきたことば。

女の批評って二つきりしかないじゃないか。「まあすてき」「あなたってばかね」この二つきりだ。

清潔かどうかのわかれめは、髪の毛である。

よい妻というのは夫が秘密にしたいと思っている些細なことを常に知らぬふりをする。それが結婚生活の礼儀の基本である。

偉大な事業を完成するためには、人はつねに緊張していなければならない。

おおむね大きな誤りの底には高慢があるものである。

労働は適時にはじめること。享楽は適時に切り上げること。

平凡なことを、毎日平凡な気持で実行することが非凡なのだ。

2017年11月15日 (水)

櫻井よしこ×花田紀凱『「正義」の嘘 戦後日本の真実はなぜ歪められたか』産経セレクト

天皇皇后両陛下は最も重要とされている春と秋の例大祭に毎年必ず勅使を出されている。

慰安婦問題は1990年代以後の特殊な政治環境で生まれた事件と言えます。

ドイツは一貫してドイツ民族の「集団の罪」を否認する立場を貫いています。

ユダヤ人に対する犯罪はドイツだけなく汎ヨーロッパ的・・・

大和ってのは、日本の宿命的な、構造的な欠陥の象徴だったのだ。

キーセン学校というのはいわば「置屋」です。

2017年11月14日 (火)

宮崎学『暴力団追放を疑え』ちくま文庫

労働運動の最過激派といわれた動労(国鉄動力車労働組合)

公務員は憲法上の労働基本権が制限され、ストライキ権がない。

90年の冷戦構造終結によって暴対法がうまれた。

日本のヤクザには義理と人情があるが、諸外国のマフィアにはカネしかない。それが理解できない。というのは、実は表向きの話だ。ヤクザはアメリカ企業の日本進出を確実に阻んできた。だから、日本政府に働きかけて「ヤクザを潰せ」と言っているのだ。

昔のヤクザは、博打とテキ屋の二種類しかいなかった。

「正義」という言葉を使いたがる連中ほど、疑って見たほうがいい。

相撲とはスポーツマンシップや武士道精神、騎士道精神などによるスポーツや武芸とは成り立ちがまったく違うのだ。もともと相撲とは神事であり、江戸時代までは見世物や大道芸とセットで神社や寺の境内で行なわれていた。

一度動き出したら歯止めが利かなくなる怖さは、中国だけではなく日本の学生運動、さらにはヤクザの内部抗争にも共通するものだ。

2017年11月12日 (日)

和仁達也『年間報酬3000万円超えが10年続く コンサルタントの経営数字の教科書』かんき出版

借入金が年間粗利の8割以内に収まっているか否か

税引後利益の何倍の借入金か?

「彼らが持っているモノ」ではなく、「彼らが、何にフォーカスしているか?」に注目

これが成長志向の社長に共通する「お困りごとトップ3」だ!

  1. 「会社のお金の流れが漠然としている」ことによるストレス
  2. 「社長と社員の立場の違いからくる危機感」のズレ
  3. 「次のワクワクするビジョンが見えない」というストレス

粗利率は代表的な5業種の数値を頭に入れてヒアリングする。

粗利率の高さは、「変動費に対して、価値を付加する割合の大きさ」に比例します。

業種別に粗利率の高い順に並べると、サービス業:80%、飲食業:70%、製造業:50%、小売業:30%、卸売業:15%となります。

社長に尋ねるのは、たったの5つ。

  1. 売上
  2. 粗利率(もしくは業種から推測して粗利率を探る)
  3. 利益
  4. 人件費(もしくは労働分配率を探る)
  5. 借金残高

2017年11月 8日 (水)

蓮實重彦・柄谷行人『闘争のエチカ』河出文庫

構造主義がカント主義だといわれるのは、無理もありません。

ヘーゲルは、カントが同一性にとどまることを批判し、弁証法を導入しました。

マルクスが『資本論』の序文で、自分は社会主義者の資料を一つも使っていない、全部ブルジョア側の資料を使っているという。

日本浪漫派とはむしろ三島のようなものだと考えるべきです。

小林秀雄が、批評とは他人をダシにして自分を語ることだといった。

『論語』を読んだときに思うのは、一つの一貫した理論や物語を作れないということです。

フーコーがエイズで死んだけれども、彼の最後の問題は、倫理の問題でした。

ウィトゲンシュタインが世界は物からできているのではなくて、事実からできている、という言い方をしているわけですね。

カントの批判というのは、領域の区別、あるいは裁判所の審級の区別ですね。

フーコーにしてもデリダにしても、ある意味でサルトル的ですね。

ヘーゲルの哲学は、全体が論理学です。そこでは、哲学史、あるいは歴史から、固有名が消されます。

イエスは、自分は平和をもたらしにきたのではない、闘争をもたらしにきたのだといいました。

二十世紀とはいろいろな批判にもかかわらず結局のところ、やはり「自然主義」と「私小説」の時代だったことは認めなければならない。

« 2017年10月 | トップページ | 2017年12月 »

2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック