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2019年2月

2019年2月 1日 (金)

宮崎市定『中国に学ぶ』中公文庫

歴史は物語りから生れたといわれる。

中国の歴史は、記録から出発したと考えられるからである。・・・・・中国の歴史は、王者の記録から始まったといえるのである。

『春秋三伝』こそは、正しく日本の『古事記』に相当するものである。

大衆こそは最大の傑作を生み出す母胎である。

儒教思想こそは最も中国的な思想であったということができる。

道教は中国発生には違いないが、その最も大切な成長期に仏教の影響を蒙ったため、宗教臭くなりすぎた。

孔子の教育の根本理念たる仁は、読んで字の如く人の道に外ならず、これは明らかに神の道に対立するものである。

孔子の後、孟子は義を説き、孔子の仁と併せて仁義を行なうことを口癖とした。

勉強には自分の本でないと能率が上がらぬものだ。

中国の専門家というのは、現代日本の専門家と違って、専門以外は駄目だというのではなく、あらゆる素地、教養があって、その中でもとりわけ得意とする分野が専門なのである。

偉大な指導者を出すためには、国民に人物を見分ける明察がなければならぬ。現在のわが国にとっていちばん大切な点は、政治界に限らず、何よりも本物かにせ物かを見わけることである。

中国の皇帝政治に理論的根拠を与えたのは儒教である。

儒教の規則は人情を重んずる、という口実の下に、権力者の欲望をあまりにも寛大に認めすぎる傾向がある。

墨子の教えは、この儒教の歪みを訂正しようとして、上に立つ者ほど身を粉にしても働かねばならぬことを唱えた。

中国においてこそ本当の共産主義を樹立したい、というのが毛沢東の念願で、今度の文化大革命も本当のねらいはそこにある。

小谷野敦『本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝』新潮新書

日本文化の精髄は中世以前の文化にこそあるので、・・・

川端康成は、『源氏物語』を日本最高峰の文学と見なした。

それまでキリスト教にからめとられてきた西洋哲学を、キリスト教から解き放ったのが『純粋理性批判』である。

凡庸なのはアイヒマンだけではなく、アレントも凡庸なのである。

ファシズムというものの定義が、未だにはっきりしていない。

フッサールは、哲学を「学問の基礎としての哲学」と「世界観哲学」に分けた。

『モモ』は、いわば資本制批判である。

ポパーは、数学的帰納法以外の帰納法を認めない。

有名な「反証可能性」にしても、人文学には当てはまらない。

コンドームなどの避妊を認めなかったローマ法王庁が、オギノ式避妊だけは認めた・・・・・

「現場主義」というのは、都会に住んでいてカネと暇のある者の考え方だ。

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