岩井克人『貨幣論』ちくま学芸文庫
じっさい、ドイツ語においては恐慌(Krise)という言葉はまさに危機(Krise)という意味であり、・・・・・
マルクスの『資本論』が『経済学批判』の続編として書かれ、その副題も「経済学批判」となっていることはよく知られている。マルクスが批判の対象とした経済学とは、・・・・・「古典派経済学」のことである。しかし、重要なのは、古典派経済学が批判の対象とされたということは、同時に古典派経済学が批判するに足る経済学であったということである。それにくらべて、マルクスが「俗流」という枕ことばとともにしか語らないセーやバスティアといった経済学者の場合は、もの笑いの種にはされても、まともな批判の相手にはされていない。
マルクスのすべての出発点であった労働価値論は、マルクスの意図に反してマルクス自身の手によって葬りさらわれてしまう運命にあるのである。
「貨幣は生来金銀である」という金権神授説をとなえてきたマルクスにとって、・・・・・
モノにたいする総供給はモノにたいする総需要に必然的に一致するという「セーの法則」が成立するのである。
貨幣とは、言語や法と同様に、純粋に「共同体」的な存在である。
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