中川剛『文学のなかの法感覚』信山社
「最も古い職業」は、つねに法によって敵視されながら、けっして無くならない。それは、売春のほうが通常の結婚よりもかえって人の本性に深く根ざしているからであろう。つまりは人間性の汚点であるが、それを否定すべきものと措定することによって、われわれは自己についての汚辱を免れてきた。罪も穢れも売春婦の側に帰せられる。罪は売春の行為そのものにあるのではなくて、家族関係における差異性の原理との接触にある。したがって法はこの場合、人間の自然への抑圧という最も原初的な性格を露わにせざるをえない。さもなければ瓦解するほどに、われわれの文化は脆い。
法廷は、人を憎む事はできない。
勝った者が裁くところに正義は存在しないと言っていいでしょう。
表現の自由にとっての最大の脅威は、「異端」の存在を許そうとしない「正統」の存在である。
ある考え方を異端とする人々に対しては、どんな議論も通じないということだった。
通説は支持者の数ではなく、それを通説と「見る」人の数によって決まるようである。
年末になると判で押したように第九交響曲というのもわけがわからない。推察するに、9はきわまり、どん詰まりの数であって、師走にふさわしいと考えられたのであろう。
もっとも、人間は悪口を言われるようになれば、たいしたものという見方もある。
頭角を現わす人、やり手、個性の強い人物は必ず悪口を言われている。
大いに悪口を言われるべし。それは、人々が君を無視できない証拠であるからだ。
自分が憎む相手の悪口を言ってはならない。相手が目立つのを助けるようなものだからである。
自分の悪口を言った相手には、「人々の注目を私に集めてくれてありがとう」という態度で接しておけばいい。
ライバルというものは自分と同等の者で、ライバルを見れば自分の程度がわかると、ある画家が語っていた。つまらないやつが自分のライバルであれば、自分もやっぱりつまらないのである。
難のない小物であるよりは、ぼろくそに言われる大物であるほうがよい。
法令は権力を背景としており、法学は権力の侍女としての性格をまったく抜き去ることができない。
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