会社というものは社長次第でどうにでもなる。
大企業と競合して勝てる筈がない。
私の仕事先にまで押しかけて、何とか都合がつかないかという。私は、こういう人が好きである。
商品構成をどのようなものにするかということは、企業がきめるのではなくて、顧客がきめるものである。
事業経営というものは、顧客の要求に焦点を合わせ、社長の意思と責任において、まず事業構造それ自体を高収益型に変革する。
会社の業績は、内部管理の優秀さによってきまるものではなく、社長の“正しい姿勢”と“適切な事業”によってきまるのである。
決定権というものは、責任をとる人しか持つことのできない権利である。
独裁すれども独断せず。
数字の羅列で、「魂」が入っていないのである。
社訓など、実際には何の効力もないことを知らなければならない。
人材教育の必要性を感じたなら、それは自分の経営姿勢が悪いんだな、という反省こそ大切なのである。
人間の価値は極限状態で初めて分る。
昔、使用人がたくさんいた大問屋の主人でも、戸締りと火の始末だけは、主人自らやったという。
会社のピンチに、助けてくれるのはメーン・バンク以外にないのである。
大企業の経験は中小企業にとっては、害になることの方が圧倒的に多い。
お客様というものは、きめるまではあれこれ時間がかかるが、いったんきめると、すぐにその品物が欲しいのである。
お客様には〝過去の実績〟は一切通用しない。
営業部員に限らず、社員というものは、まず第一には自分のことを考え、第二には自分の部門のことを考え、会社のことは一番あとになることを知らなければならない。
経営の責任がない社員に、経営者と同じように会社を考えよ、ということこそ間違っている。
企業の危険度は、企業規模の二乗に逆比例する。
業界の占有率が高すぎるということの危険はまだある。それは、強力なライバルがいないために、どうしても革新の気風が衰える。その上営業の姿勢が高くなって、お客の不満をまねく。
商品別の売上年計は、経営者は必ず見ていなければいけない。
大切なことは、〝傾向〟を見ること。
いったん危急存亡のピンチに立った時には、社員は会社の運命を自らの運命と考えて真剣に取組む。
現在の好調に酔い、次の商品の開発を怠る経営者は決して少なくないのである。
高収益、安定経営は、安物では不可能である。
ダボハゼ経営
世の中は変ってゆく。お客の要求は変る。この変化を、社長自らの目と耳と肌で感じとることこそ、事業経営の根本命題なのだ。
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