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哲学

2023年2月 4日 (土)

大澤真幸『この世界の問い方 普遍的な正義と資本主義の行方』朝日新書

混乱や無秩序は、常に悪いわけではない。人は、それらに希望を見出すこともある。極端なケースは、革命の最中である。既存の秩序が崩壊し、カオスが出現しているときこそ、革命の成功の可能性は高まる。

ロシアをヨーロッパであるとする、その根拠はどこにあるのか。それは、ロシアが、キリスト教を受け入れた国だからである。ヨーロッパ的なるものの中心には、キリスト教がある。

中国でいう愛国とは、現在の「皇帝」に相当する中国共産党を肯定し、支持することを意味する。

法の支配とは、最高の権力者でさえも法に拘束される、という意味である。

大躍進政策は、失敗であっても、目標は(一応)はっきりしていた。文革は、しかし、目標すらはっきりしない。何のための革命だったのか。

なぜ、わざわざ「持続可能性」ということが目標とされなくてはならないのか。誰もが、普通にこのままシステムを運営していけば、持続できないこと、破局に至ることを知っているからだ。

しかし、同時にヘーゲルには明らかに反ユダヤ主義がある。

2023年1月19日 (木)

マルクス・ガブリエル他『未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か?』集英社新書

ルイ・ナポレオンとトランプに共通するのは、偉大な過去に対する人々のノスタルジーです。

日本には、欧米にあるような産業別組合がなく、企業別組合があるだけです。

マルクスは資本主義の時代の成果であるテクノロジーの重要性を強調しています。

概念を扱う哲学がなぜ役に立つのか。

ハーバーマスが指摘しているように、ニーチェなしには、1968年の運動はうまくいかなかったのです。

シュミットは、国家社会主義者の法的基礎であり、法学者ですよ。どうやって、左派の味方になりえるんですか。

ハーバーマスの理論には存在論がありません。ハーバーマスには、実在性の事実構造についての理論がないのです。

ウーバーやAirbnbといった新しい企業は、熟練を要する仕事をまったく生み出しません。

インターネットを通じて単発の仕事を発注するギグ・エコノミーが大きな問題となっていますよね。

インターネット上の匿名性を根絶することです。・・・・・民主主義において匿名になることは許されないのです。

 

2022年6月17日 (金)

細谷貞雄編『世界の思想家24 ハイデッガー』平凡社

死とは、現存在がいつもみずから引き受けなくてはならない存在可能性である。・・・・・このひとごとでない可能性は、連絡のない可能性である。そしてそれは同時に、もっとっも極端な可能性でもある。存在可能として、現存在は死の可能性を追い越すことができない。死は、現存在が端的に不可能になる可能性だからである。こうして、死とはひとごでない、連絡のない、追い越すことのできない可能性としてあらわになる。

現存在は、実存しつづけるかぎり、事実上死へ臨んでいるが、差し当たって大抵は、頽落の様態で死へ臨んでいる。

日常的現存在は、おのれのひとごとでない、連絡のない、追い越すことのできない可能性を、大抵は蔽い隠している。

ひとごでない、連絡のない可能性は、追い越すことのできない可能性である。

ひとごでない、連絡のない、追い越すことのできない可能性は、確実な可能性である。

 

2021年12月13日 (月)

大井正・寺沢恒信『世界十五大哲学』PHP文庫

思いつきを、筋道をたてて整理して、きちんとした考えにまとめるためには、哲学的な基礎訓練が不可欠だ。

過去の大哲学者たちがどういう問題をどう考え、どう解決したか、ということを読みながら、自分ならばその同じ問題をどう考えるか、と自問自答することである。

自己の内にある基準とは、自分自身の理性と経験である。

世界観は、一度ある世界観をもったならば、一生涯変えてはならない、というものではない。それは、変えるべき時には変えなければならない、つまり、誤っていたと気がついた時には、変えなければならない。だが、正しいと確信する限りは、どのような圧迫をうけても変えるべきものではない。それは、自分自身が変えない限り、どのような専制政治のもとでどのような権力者が強制しても、変えることのできないものである。

批判的であるということは、外から与えられた権威によってではなく、自分自身の内なる権威にもとづいて、良いものを良いと判断し、悪いものを悪いと判断することである。

観念的なものを、物質から派生したもの、第二次的なものであるとする思想を、唯物論という。

アラブ哲学をとおして移入されたアリストテレスの哲学が、13世紀のはじめにはまだ危険なものとして教会によって禁止される運命をもったが、トマスによって積極的に採用され、キリスト教神学の体系づけに利用された、ということである。

ディルタイにとって信頼すべき実在はただ精神的体験だけであった。

西周が最初に移入したのは、イギリス流の功利主義と実証主義であった。

「形而上学」という言葉は、このメタフィジカという言葉を明治時代の学者が『易経』の言葉を借用して訳したもので、・・・・・

人の値うちは職業の値うちです。反対に、職業の値打ちが結局人の値うちです。だから人はできるだけ商売を誇るのです(ディドロ)。

・・・・・革命とは単に政治の事柄にかぎられるのでなく、広汎な学問、思想の領域にわたって準備を必要とするものであるということを、このことはよく示している。

マルクス主義はまったく歴史的な産物であり、・・・・・

2021年1月16日 (土)

佐藤優『思考法 教養講座「歴史とは何か」』角川新書

人を殺すぐらいの力がないと、思想としては実際の力を持ちません。

田辺元・・・軽井沢・・・戦時国際法に関する知識があれば、絶対に安全な場所は軽井沢と箱根だとわかるわけです。

分らない事を分らないと知る事も、ある意味で分る事である。これは非常に大切です。わからないことがどこかをわかっているというのは、わかる部分もわかっている、ということです。

 

加藤尚武『応用倫理学のすすめ』丸善ライブラリー

「四分の一ユダヤ人」のヴィトゲンシュタインは一度だけ「ユダヤ人ではない」と偽ったことを、終生悔やんでいたという。

命名は親の自己決定権に属するから「悪魔」も認めるべきだという人は、どんな名前でも許されるのかどうかという質問に答えなくてはならない。

エホバの証人

自殺を自由意思による身体への支配として賞賛したストア主義の倫理が・・・・・

加賀氏の著作から浮かび上がってくるメッカ事件の犯人の精神性を考えると、彼の内面性そのものが死刑の宣告を受けるという形で、自己の極限に直面したことから形成されてきているのであって、死刑制度が廃止されていたならば、この犯人は軽率な自己観察と演技の平面で生き続けたいったかもしれないという疑問が残る。

 

2021年1月15日 (金)

真下信一『思想の現代的条件ー哲学者の体験と省察ー』岩波新書

そのアイヒマンですら、彼が裁かれたイスラエルの法廷で、「トレプリンカほど恐ろしい情景を目にしたところはない」と証言した・・・・・

ルカーチによれば、両者が人間としてナチズムにどう対したかは、どちらも自身の哲学を裏切って現実にヒトラーに刃向かって出るということはなかった以上、「ほとんどどうでもよいこと」であり、・・・・・

もしも人間を完全に窒息させ滅ぼそうと思うなら、(中略)彼のやっている仕事に絶対的な無目的性と無意義性をもたせさえすればよいと、・・・

 

2021年1月13日 (水)

J-P.サルトル『ユダヤ人』岩波新書

サルトルは、二千年来のユダヤ人迫害の原因が、決して被害者側には見当らず、むしろ加害者側にあったことを明らかにします。

しかし、わたしは、直ちに、フランス史が、ユダヤ人については、なにも教えてくれないとお答え出来る。

ドイツ人が、最初に、ユダヤ人に禁じたのは、プールの使用だった。

しかし、目の前に、ひとりのユダヤ人と会って見れば、大ていの場合、弱そうな男で、暴力は持たず、自分自身を守ることさえ出来そうもないことが多いのである。この、ユダヤ人の個人としての弱さが、両手両足をしばられて、リンチに会う原因なのだが、・・・・・

キリストが、政治的煽動者として、ローマ人によって、処刑されたことも明白である。

ユダヤ人とは、他の人々が、ユダヤ人と考えている人間である。

反ユダヤ主義者が、ユダヤ人を作るのである。

チャップリンもユダヤ系であるため、・・・・・

ユダヤ人でなくなることを選ぶことは出来ないのである。

ユダヤ人たること、それは、ユダヤ的状況に突きやられ、そこに「見すてられる」ことであり、また、同時に、ユダヤ民族の運命と性質そのものに、自分自身の中で、自身の人格により責任を持たねばならぬことなのである。

外国にいる売春婦が、よくフランス人であることは、有名である。

ユダヤ女に出逢ったユダヤの男の反応は、全く異る。彼は、いやでも、その売春婦の恥ずべき立場の中に、イスラエルの恥ずべき立場の象徴を見てしまうのである。

ナチスが流したユダヤ人の血は、われわれすべての頭にふりかかってくるのである。

合衆国には、黒人問題など存在しない。あるのは白人問題だ(リチャード・ライト)。

フランスにおいて、更には、世界全体において、ユダヤ人がひとりでも自分の生命の危険を感じるようなことがあるかぎり、フランス人も、ひとりとして安全ではないのである。

 

橋爪大三郎『現代思想はいま何を考えればよいのか』勁草書房

日本の言論は、どうして世界に通用しないのか。それは最初から、世界を相手に発言するつもりも覚悟もないからである。

大東亜共栄圏が、日本のエゴイスティックな自己主張を超えなかったのにひきかえ、イラクを含めたアラブ諸国の連帯(アラブ・ウンマ)は、正当な文明史的背景をもっていることだ。

日本は、文明の中心国だったことがなく、翻訳によって自国の文化を築いてきた。

ほかに日本語を用いる国歌はないから、いつも内向きの言語を語っていればよかった。

創造的な努力は、歩留りが悪い。

日本国憲法はかなりよくできている、と私は思う。日本人が自分で作れなかったほどのよい憲法だから、なるべく大事にしたい。ただ、そこに欠落しているのは、日本という国家がどんな努力をして、どういう国際秩序をかたちづくるのかというビジョンだ。これは無理もないので、無謀な戦争に敗れた日本の、牙を抜き頭を冷やして、国際社会の隅のほうでおとなしくしているように、というお仕着せ、お仕置の憲法なのである。

啓蒙主義・・・むずかしい言葉を、なるべく噛みくだいて、理解しやすい言葉に直す。

初等教育は、たかだか市民の必要条件なのだから、ある水準をクリアしていれば十分。全員に同じことを要求しているのに、その出来栄えに、順番をつけて競争したりしてはいけないのである。人間は自分の得意などこかの分野で、他人よりすぐれていればよろしい。自分がかけがえのない独自な存在であること―それを信じて、自分の生きる路を選択できることが、教育の目的でなくて何だろう。

自分たちは同質である、という信念が日本人にはある。

誰も考えたことのない問題を、よし考えてやるぞ、という迫力が不足なのだ。

われわれは中国について、何を知っているだろうか。日本は、大国を手本とせずにやっていけない国である。それで、さんざ中国べったりでやってきたくせに、中国より強い国があるとみるや、ころっと手の平を返すように、やれ英国、やれアメリカ、と尻尾を振る。フランス現代思想の新しがりごっこなど、その尻尾のくちですよ。

戦前の日本人は、一部の好戦的な人々(軍部)に「騙されて」いた、というのです。それは誤りだと思います。日本人は、多かれ少なかれ、積極的に戦争を担いました。

アファーマティヴ・アクション(affirmative action)―現状から不利益を被る人びとに、一時的な優遇措置を政策的に講じて、実質的な平等化をはかり、そのうえで望ましい状態の実現をはかっていくこと。

社会主義とは、金持ちと貧乏人、強者と弱者など、社会のなかの不公平を、国家や社会の力で正そうとする考え方のこと。

共産主義とは、私有財産をなくしてしまおうとする考え方のこと。

マル経が労働価値説に立脚するのに、近経はそうでないことである。

キリスト教の考え方ですが、彼らによれば、人間死ぬのは見かけだけで、本当には死んでいない。やがて神の呼びかけにこたえてムックリ起き上がる。そして、最後の裁きを受け、うまくすれば永遠の生命を与えられることになっている。

イエスが残した最大の難問は、イエス自身の死をどう理解するか、であった。

キリスト教がユダヤ教と分離し、独立の宗教として展開できたのは、パウロの思想のおかげである。

 

2020年9月18日 (金)

山本七平『論語の読み方 いま活かすべき この人間知の宝庫』祥伝社

聖書を理解するには論語を読まねばならぬ、と内村先生が言った。

共通の規範がなければ、信頼感は生まれない。

常に当たりまえのことを説いた。

中国や韓国では今も、結婚しても妻の姓は変わらない。

いやはや先生のいつもの世間知らずには恐れ入った。

天才と白痴は学校では教育できない。

相手に応じてそれぞれに教えることが孔子の教育であった。これが本当の平等教育であろう。

孔子は傲慢や贅沢やケチを心底から嫌い、・・・・・

 

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