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哲学

2019年1月21日 (月)

井沢元彦『中韓を滅ぼす儒教の呪縛』徳間文庫

中国人は儒教は人の道を説く哲学であって宗教ではない、と考えています。

ほとんどの宗教にあるのに儒教にはないもの、それは「来世」です。儒教は「怪力乱神を語らず」と豪語するだけあって、死後の世界について何も語っていません。

日本が朱子学の影響を大きく受けることになったのは江戸時代、徳川家康が武家の学問として導入したことによります。

全羅道と慶尚道がいまだに仲が悪いのも、・・・・・

儒教では「史実」よりも、「理想」が優先されるからです。

儒教が祖先崇拝と深く結びついている・・・・・

「孝」は、あらゆる道徳の根本とされ、孔子はそこからすべてが始まるとしています。

儒教では「忠」よりも「孝」の方が優先されます。

2019年1月 2日 (水)

齋藤孝『齋藤孝のざっくり!西洋哲学 ソクラテスからマルクス、ニーチェまでひとつかみ』祥伝社黄金文庫

アリストテレスの成果に目をつけたのが、中世のキリスト教、すなわちローマ・カトリック教会でした。カトリックの最大の目的はただ一つ、神の存在を証明することです。

カントは、それまで人間が見たり、感じたりする対象がそこにあるからこそ、それを認識することができるのだと考えられていたのを、「それは逆である」と主張しました。まず人間に「認識機能」のようなものが備わっているからこそ、見たり感じたりできるのだと言うのです。

マックス・ウェーバーがロシア革命直後に、革命後の国家が権力主義によって、腐敗した官僚制に陥っていくと予言した通りになってしまいました。

カントが見事なのは、ここで「あきらめる」という選択を受け入れたことです。

カントは、無理をやめて、理性を有効なものと有効ではないものにきちんと分けて考えればいいのではないかと思いついたわけです。

西洋は一般的に欲望が強く、「どうにも止まらない」という特性があるのですが、中でもドイツ人というのは、そうした野望の実現に向けての努力を、ちょっと恐いぐらい徹底して行ないます。

ある種の苦難を経験し、それを𠮟咤激励して乗り越えたときに初めてほめるようにしなければ、苦難から逃げてしまうからです。

人間の脳はどんな言葉の文法も理解できる能力を生まれながらにして持っている。

2018年11月14日 (水)

仲正昌樹『ハイデガー哲学入門―『存在と時間』を読む』講談社現代新書

ハイデガーの哲学的探求のほぼ全ては、伝統的な「存在論」を深く掘り返し、そこから、新たな「存在論」の可能性を引き出すことに捧げられた、と言ってもよい。

ハイデガーに対する評価は、その人が、言語をどのように捉えているかに大きく左右される。

デカルト主義から距離を取るために、ハイデガーが利用するのが「現存在Dasein」という概念である。

「被投性」と「投企」の相関関係の叙述にこそ、ハイデガーの哲学が、現状を変えようという情熱を持った若者たちを惹きつけたカギがあるように思われる。

西欧文化圏には、自らの死後の生を思うことで、現世での生活を悔い改めるように促す「メメント・モリ(死を記憶せよ)Mementomori.」というラテン語の警句があり、・・・・・

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』講談社現代新書

アーレントは、そういう思考停止したままの「同調」が、「政治」を根底から掘り崩してしまい、ナチズムや旧ソ連のスターリン主義のような「全体主義」に繋がるとして警鐘を鳴らし続けた。

アーレントは、一つの世界観によって、不安に駆られた大衆を何らかの理想へと「導く」かのような姿勢を見せる政党を、マックス・ウェーバーに倣って「世界観政党」と呼び、その典型がナチスやボリシェヴィキ(ソ連共産党)だとしている。

「考える主体」であることを放棄して、自分たちの代わりに考えてくれる「指導者」を求めているということである。

「全体主義」という言葉は、もともと1920年代にイタリアのファシズム運動の理論家たちによって、自分たちの目指す、脱個人主義的で、国民全体を統合し導いていける国家の特徴としてポジティヴな意味で用いられ始めた。

彼女はそこに、「同一性」を求める国民という集団が、自分たちの身近に「異質なる者」を見出し、「仲間」から排除することによって、求心力を高めていこうとする「自/他」の弁証法のメカニズムを見る。

「帝国主義」というのは、一応の政治的統一を遂げ、資本主義的に経済を発展させるようになった西欧の国民国家が、工業製品の原材料の産地と製品の市場を求めて、アフリカやアジアの諸国を植民地化するようになること、そして植民地獲得のために互いに争うようになることを指す。ナショナリズム競争が世界的に拡散する現象と考えてもよい。

「帝国empire」というのは、古代ローマ帝国のように、多民族・多宗教からなる広大な地域を一人の元首が統治する国家形態を指す。

スターリン主義のソ連は、(ユダヤ系の富農の子として生まれた)トロツキー等の党内反動分子による反革命の世界的陰謀という物語を利用して、党内・国内の粛清を正当化した。

ナチスやソ連共産党は、大衆が見たいように現実を見させてくれる物語を提供し、彼らを組織化することに成功した。

2018年4月11日 (水)

羽入佐和子『自分が自分であるために 哲学から思考のレシピのヒント』Discover

ほかの人はどう考えるかを確かめるのです。

「命題」とは、真偽の判断の対象となりうる文のことをいいます。

命題は、分析的と総合的との二つに分けられ、・・・

マックス・シェーラーは、分割不可能で、持続性があり、それなくしてはいかなる価値も損なわれてしまうような価値をもっとも高い価値と考えました。

少なくとも「ふつう」という名のモンスターには注意しないと、と思います。

2018年2月25日 (日)

小倉紀蔵『新しい論語』ちくま新書

『論語』の世界観には、<アニミズム>が色濃く宿っている。

孔子の世界観というのは、孟子とは異なり、性(人間性)と天(超越性、命とも)を容易に結びつけない。つまり超越しない。むしろ人のしゃべり方や顔色、鳥獣の鳴き声、さまざまなもののたたずまいや動き方などを重視し、形容詞を大切にした。

日本の近代は、『孟子』的世界観の日本化だったということができる。

八百万というのは「すべて」という意味ではなく、「かぎりなくたくさん」という意味である。

私の考えでは、孔子はシャーマニズムよりもむしろ<アニミズム>により近い思想家だったのである。

中国や朝鮮では、朱子学以降、『論語』を『孟子』的に、つまり<汎霊論>的に読み替えた。

『論語』においてもっとも重要な概念は仁

孔子が仁を定義しなかった

落語やお笑いの世界でもっとも大切なのは「何をいうか」ではなく「いついうか」だといわれる。

キリスト教では、親からもらった肉体的生命ではなく、神が与えてくれる霊のいのちこそが永遠に生きるのだ、と教える。

俳句は、絶対に心をうたってはならない。

小川仁志『7日間で突然頭がよくなる本』PHP研究所

いつの時代も、頭がよい人間だけが得をしてきました。

カントは現象と物自体という二つの次元で物事を認識すべきことを訴えました。つまり、人間に認識できる世界とそうではない世界があると主張したのです。

アドルノが否定弁証法という概念を掲げ、物事を一つにまとめようとする弁証法に抗して、差異を差異のままに生かそうとする思想を提起しました。

人間は死という人間の有限性に気づいたときにはじめて、時間というものに自覚的になり、未来を見据えて積極的に生きるようになります。このように把握された時間こそが根源的時間です。

普遍化するためには、抽象的に表現する必要があります。

「抽象」の反対語である具体的なものは、内容はわかりやすいかもしれませんが、その分本質がぼやけてしまうのです。

2018年2月 8日 (木)

宇野重規『保守主義とは何か 反フランス革命から現代日本まで』中公新書

保守主義の思想は、楽天的な進歩主義を批判するものとして生まれ、発展していった。

革命とは、すべてを更地にして、その上に理想的な政治制度を、一から作り直そうとする試みである。

「保守主義」という言葉が使われるようになったのは、十九世紀初頭のことである。

悪政かどうかを判断するに際して、人々が感覚的に間違えることはほとんどないとバークはいう。人々が「この政治はおかしい」と肌で感じるとき、その感覚は正しいことがほとんどなのである。

多くの異なる言葉が出会い、互いを認め合い、そして同化することを求めないのが会話の本質である。

2017年12月 6日 (水)

中村うさぎ・佐藤優『死を笑う うさぎとまさると生と死と』毎日新聞社

痛みは人格を変えますから。

将棋は死んだ駒も再び使えるじゃないですか?チェスは死んだら終わりですけど、・・・

科学者にとって197回と200回は違うんですよ。

キリスト教は、ギリシア思想という本来は異質なものと結婚しているんです。

江戸時代の切腹は、実際は竹光で腹を触るだけですからね。

男らしさ・女らしさという幻想に一番強くとらわれているのが、実はゲイなんですね。

直観というのは、過去のさまざまなものの積み重ねですよね?

ペストはユダヤ人虐殺の大きな要因にもなったんです。

2017年11月 8日 (水)

蓮實重彦・柄谷行人『闘争のエチカ』河出文庫

構造主義がカント主義だといわれるのは、無理もありません。

ヘーゲルは、カントが同一性にとどまることを批判し、弁証法を導入しました。

マルクスが『資本論』の序文で、自分は社会主義者の資料を一つも使っていない、全部ブルジョア側の資料を使っているという。

日本浪漫派とはむしろ三島のようなものだと考えるべきです。

小林秀雄が、批評とは他人をダシにして自分を語ることだといった。

『論語』を読んだときに思うのは、一つの一貫した理論や物語を作れないということです。

フーコーがエイズで死んだけれども、彼の最後の問題は、倫理の問題でした。

ウィトゲンシュタインが世界は物からできているのではなくて、事実からできている、という言い方をしているわけですね。

カントの批判というのは、領域の区別、あるいは裁判所の審級の区別ですね。

フーコーにしてもデリダにしても、ある意味でサルトル的ですね。

ヘーゲルの哲学は、全体が論理学です。そこでは、哲学史、あるいは歴史から、固有名が消されます。

イエスは、自分は平和をもたらしにきたのではない、闘争をもたらしにきたのだといいました。

二十世紀とはいろいろな批判にもかかわらず結局のところ、やはり「自然主義」と「私小説」の時代だったことは認めなければならない。

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