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哲学

2020年9月18日 (金)

山本七平『論語の読み方 いま活かすべき この人間知の宝庫』祥伝社

聖書を理解するには論語を読まねばならぬ、と内村先生が言った。

共通の規範がなければ、信頼感は生まれない。

常に当たりまえのことを説いた。

中国や韓国では今も、結婚しても妻の姓は変わらない。

いやはや先生のいつもの世間知らずには恐れ入った。

天才と白痴は学校では教育できない。

相手に応じてそれぞれに教えることが孔子の教育であった。これが本当の平等教育であろう。

孔子は傲慢や贅沢やケチを心底から嫌い、・・・・・

 

2020年9月14日 (月)

谷沢永一・渡部昇一『修養こそ人生をひらく 「四書五経」に学ぶ人間学』致知出版社

この四書五経というのは、ある時代、ある社会において現実に行われた事柄を書いたものではなくて、すべて論理であり、規準であって、目指すべき目標なわけです。

お釈迦様の言葉も同じですね。あれはインドのカースト制度を抜きにしては出てこない思想だと思います。

シナの文明を考えるときは、よくいわれるように、文章は三国時代まででいいし、詩は唐までやればいいんですね。あとは繰り返しですから。面白い文章とか教えは漢で終わっています。

イスラムというのは学んで思わない。

自分ばかり儲けて相手に損をさせるのはよくない。

言葉というのは、文章の流れの中にあって生きているわけです。

本当は多少ばかなくらいでなければいけないんだと。

だから昔の40歳というと、今なら57歳ぐらいだと考えていいでしょう。

ヒルティが言っているように、一つ善いことをやると、次に善いことをやることは簡単になる。

源泉徴収をつくった奥村喜和男

危険を察知したら、そこで止まるのが人間の知

人が集まるのは財による

それにシナの古典というのは内容が素晴らしいですからね。裏を返せば、あれだけ立派な教えがいっぱい出るのは、よほど悪い社会だったに違いない(笑)。

 

2020年9月12日 (土)

ミシェル・オンフレ『<反>哲学教科書 君はどこまでサルか?』NTT出版

性的欲求を満たさなくても身体の健康はまったく損なわれないーただ、精神の健康についてはそうはいかないだろうけどね。

精神的な欲求だけは人間に特有なもので、動物にはその痕跡はみじんもない。

理性の使用は経験の対象にのみ限定されるとし、そこから明確に区分される残りのものは、信仰の領域に属するとした(カント)。

キュニコス(犬儒)学派

魚も、ほとんど人間なみの知性がある証拠を示している。魚は射精の必要を感じると、隠れ場所から出てきて、表面がざらざらしたものに身を擦りつけるのだ。

作品は、その作品を味わう人物の教養、気質、性格があってはじめて意味をなす。

手ほどきなくして、美は成立しない。

『こうもり』の美しさを見抜くには、それが『こうもり』であることを知っていなければならない。

キッチュ(通俗趣味)

「レディ・メイド」とは、芸術家が無償の身振りによって選んだという事実のみをもって、芸術作品に変貌する匿名のオブジェのことである。

キリスト教はプラトンに多くを負っている。

人類の歴史は技術の歴史と一致する。

プロメテウス的論理

パノプティコン(一望展望装置)の原理

遺伝で受け継がれる身体の特徴や性格は、やはり選ぶことができない。

成文化されていない暗黙の法として、自然法というものが存在するとされる。

自然法は「アプリオリに(先験的に)」人道的だと思われている事柄を基礎としていて、・・・

間主観性(存在する者同士の関係)

ヘーゲルは、幸福な民族には歴史がないとさえいっている。

死者への忠誠を示し、死者のことを忘却せず、数百万もの人々の死を無駄にしないため、そして警戒の心構えを確立するためだ。

僕はいつも、僕を侮辱する連中を許してきた。けれどリストは取ってある(サンペ『いくつかの不思議』Denoel,1998)

ニヒリズム(虚無がすべてに勝るという考え方)

自分をあるがままの姿とは別ものだと想像しようとして、人間が発揮するこの特異な才能のことを、ボヴァリスムという。

精神分析医のデタラメを『決して』信じちゃいけない。

アタラクシア(悩みのない状態)

ソフィストたちはプラトンにとっての大敵だった。

「私は真理であり生命である」とキリストはいう。

遠近法主義(真理は存在せず、視点だけが存在するという立場だ)

知性の最初の働きから生まれる根源的な誤りは、後から遅れてもたらされる治療薬がいかに秀逸であっても、修復できないだろうからだ。

そもそも客観などというものは存在しないのだから。

フランクフルト学派(アドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼ、さらにハーバーマス)

 

 

2020年9月 9日 (水)

中村うさぎ・佐藤優『死を笑う うさぎとまさると生と死と』毎日新聞社

西洋はキリスト教の社会なので、一回限りの人生しかないんです。しかし、仏教圏では輪廻転生があるので、死んでも生まれ変わります。そんな死生観が少なからずチェスや将棋のルールに関係しているとは思いますね。

科学者にとって197回と200回は違うんですよ。

男らしさ・女らしさという幻想に一番強くとらわれているのが、実はゲイなんですね。

ナショナリズムって、なんの訓練もしなくていいんです。

中世の墓の棺には「メメント・モリ」と刻んだレリーフを入れて、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句を、生きている人たちに発信していました。

『三代目襲名』・・・・・田中邦衛扮する朝鮮人が、「田岡さんについていくヨ、差別しなかったのは田岡さんだけヨ」と言って、いっしょに戦うんです。

『沖縄やくざ戦争』

その物語は、「ヨハネの黙示録」に描かれている世界ですよね。全部パトモス島でヨハネが見たまぼろしですからね。

 

2020年2月21日 (金)

中島義道『過酷なるニーチェ』河出文庫

『ツァラトゥストラ』は、超人(候補者)のための書なのであり、それを自覚している者にとってだけの書なのである。

ニーチェは、キリスト教(パウロ主義)がもともと神は存在しないのに、あたかも存在するかのように2000年にわたってヨーロッパ人を騙し続けたことが赦せなかったのである。

ニーチェの主張するニヒリズムとはパウロ主義とプラトニズムに遡るヨーロッパのニヒリズムであること、・・・・・

エリーザベト・ニーチェが兄を天才に仕立て上げようというもくろみで編纂した、よってあまり資料的価値のない『力への意志』・・・

カントこそ、「神がもともと死んでいる」ことを暴いたのではないか?神の比重を無限小にまで低め、神が生きていても死んでいても同じことだと呟いたのではないか?カントは神の存在証明が有効ではないことを示してみせたが、神の不存在も証明できないことを示したのである。その代わりに、カントは「理性」を神の位置に据えた(理性信仰)。

カント倫理学のかなめは、善悪の内容があらかじめ決まっていないことである。それは、各自がそのつど理性の声を聴いて(自律)決定していくものなのだ。

要は、ワグナーの「不誠実」が耐えがたくなったのであろう。

彼の世話をした母や妹を、自分の思想を妨げる者として徹底的に嫌った。

 

2019年1月21日 (月)

井沢元彦『中韓を滅ぼす儒教の呪縛』徳間文庫

中国人は儒教は人の道を説く哲学であって宗教ではない、と考えています。

ほとんどの宗教にあるのに儒教にはないもの、それは「来世」です。儒教は「怪力乱神を語らず」と豪語するだけあって、死後の世界について何も語っていません。

日本が朱子学の影響を大きく受けることになったのは江戸時代、徳川家康が武家の学問として導入したことによります。

全羅道と慶尚道がいまだに仲が悪いのも、・・・・・

儒教では「史実」よりも、「理想」が優先されるからです。

儒教が祖先崇拝と深く結びついている・・・・・

「孝」は、あらゆる道徳の根本とされ、孔子はそこからすべてが始まるとしています。

儒教では「忠」よりも「孝」の方が優先されます。

2019年1月 2日 (水)

齋藤孝『齋藤孝のざっくり!西洋哲学 ソクラテスからマルクス、ニーチェまでひとつかみ』祥伝社黄金文庫

アリストテレスの成果に目をつけたのが、中世のキリスト教、すなわちローマ・カトリック教会でした。カトリックの最大の目的はただ一つ、神の存在を証明することです。

カントは、それまで人間が見たり、感じたりする対象がそこにあるからこそ、それを認識することができるのだと考えられていたのを、「それは逆である」と主張しました。まず人間に「認識機能」のようなものが備わっているからこそ、見たり感じたりできるのだと言うのです。

マックス・ウェーバーがロシア革命直後に、革命後の国家が権力主義によって、腐敗した官僚制に陥っていくと予言した通りになってしまいました。

カントが見事なのは、ここで「あきらめる」という選択を受け入れたことです。

カントは、無理をやめて、理性を有効なものと有効ではないものにきちんと分けて考えればいいのではないかと思いついたわけです。

西洋は一般的に欲望が強く、「どうにも止まらない」という特性があるのですが、中でもドイツ人というのは、そうした野望の実現に向けての努力を、ちょっと恐いぐらい徹底して行ないます。

ある種の苦難を経験し、それを𠮟咤激励して乗り越えたときに初めてほめるようにしなければ、苦難から逃げてしまうからです。

人間の脳はどんな言葉の文法も理解できる能力を生まれながらにして持っている。

2018年11月14日 (水)

仲正昌樹『ハイデガー哲学入門―『存在と時間』を読む』講談社現代新書

ハイデガーの哲学的探求のほぼ全ては、伝統的な「存在論」を深く掘り返し、そこから、新たな「存在論」の可能性を引き出すことに捧げられた、と言ってもよい。

ハイデガーに対する評価は、その人が、言語をどのように捉えているかに大きく左右される。

デカルト主義から距離を取るために、ハイデガーが利用するのが「現存在Dasein」という概念である。

「被投性」と「投企」の相関関係の叙述にこそ、ハイデガーの哲学が、現状を変えようという情熱を持った若者たちを惹きつけたカギがあるように思われる。

西欧文化圏には、自らの死後の生を思うことで、現世での生活を悔い改めるように促す「メメント・モリ(死を記憶せよ)Mementomori.」というラテン語の警句があり、・・・・・

仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』講談社現代新書

アーレントは、そういう思考停止したままの「同調」が、「政治」を根底から掘り崩してしまい、ナチズムや旧ソ連のスターリン主義のような「全体主義」に繋がるとして警鐘を鳴らし続けた。

アーレントは、一つの世界観によって、不安に駆られた大衆を何らかの理想へと「導く」かのような姿勢を見せる政党を、マックス・ウェーバーに倣って「世界観政党」と呼び、その典型がナチスやボリシェヴィキ(ソ連共産党)だとしている。

「考える主体」であることを放棄して、自分たちの代わりに考えてくれる「指導者」を求めているということである。

「全体主義」という言葉は、もともと1920年代にイタリアのファシズム運動の理論家たちによって、自分たちの目指す、脱個人主義的で、国民全体を統合し導いていける国家の特徴としてポジティヴな意味で用いられ始めた。

彼女はそこに、「同一性」を求める国民という集団が、自分たちの身近に「異質なる者」を見出し、「仲間」から排除することによって、求心力を高めていこうとする「自/他」の弁証法のメカニズムを見る。

「帝国主義」というのは、一応の政治的統一を遂げ、資本主義的に経済を発展させるようになった西欧の国民国家が、工業製品の原材料の産地と製品の市場を求めて、アフリカやアジアの諸国を植民地化するようになること、そして植民地獲得のために互いに争うようになることを指す。ナショナリズム競争が世界的に拡散する現象と考えてもよい。

「帝国empire」というのは、古代ローマ帝国のように、多民族・多宗教からなる広大な地域を一人の元首が統治する国家形態を指す。

スターリン主義のソ連は、(ユダヤ系の富農の子として生まれた)トロツキー等の党内反動分子による反革命の世界的陰謀という物語を利用して、党内・国内の粛清を正当化した。

ナチスやソ連共産党は、大衆が見たいように現実を見させてくれる物語を提供し、彼らを組織化することに成功した。

2018年4月11日 (水)

羽入佐和子『自分が自分であるために 哲学から思考のレシピのヒント』Discover

ほかの人はどう考えるかを確かめるのです。

「命題」とは、真偽の判断の対象となりうる文のことをいいます。

命題は、分析的と総合的との二つに分けられ、・・・

マックス・シェーラーは、分割不可能で、持続性があり、それなくしてはいかなる価値も損なわれてしまうような価値をもっとも高い価値と考えました。

少なくとも「ふつう」という名のモンスターには注意しないと、と思います。

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