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読書論

2017年9月22日 (金)

井上章一&関西性欲研究会『性の用語集』講談社現代新書

この「性」概念は、東アジア思想史上の大事件である十二世紀の朱子の登場で、大きな意味を与えられた。

存在論でいえば、朱子学は「気」を素材的な基体とする。

日本では、助平な言葉が、カタカナへおきかえられやすくなっている。

風俗という言葉の起源は、奈良時代にまで遡れる。

身体障害者や民族的マイノリティは笑い物にしてはいけないが、同性愛者や性別越境者のような性的マイノリティだけは、笑い物にしてもいいという、歪んだ社会認識が存在するのである。

売春防止法は男性による売春行為を想定していないので、男性の売春は十八歳以上である限りにおいてイリーガルではない。

小便の場合は、ごくあたりまえであるはずの姿を、立小便とよぶ。

招き猫は、生殖器の代替品だったと、言ってよい。

勃起していても平然としていることを「乃木神話」という。

「からゆきさん」は基本的に外国で外国人を相手にする人々を指すから、海外の戦地で日本人を相手にするようになった場合は「からゆきさん」と呼ぶことはできない。

「慰安婦」に「従軍」をくみあわせたのは千田であることを本人は否定していない。

アメリカのショー・ビジネスが第三世界のブラジルを見下し、道化じみた名前を黒人レスラーにおしつける。それも、ブラジル人に、ではない。ボボ・ブラジルはカナダ生まれの黒人であった。

その悪行によって神の怒りを受け滅ぼされた都市ソドムに由来するソドミー概念は、ひろくは「自然に反する罪」を意味していたが、その主たる内容は同性間の性行為にあった。

2017年9月11日 (月)

佐藤優『獄中記』岩波現代文庫

戦後は、政治犯は存在しないという建前となっているので、政治犯罪を経済犯罪に転換するという作業が必要になる。それで贈収賄、背任、偽計業務妨害のような犯罪がつくられていくのだ。

独房には時計がないので時間がわからない。

ハーバーマスの本では、17世紀末から18世紀に、コーヒー、ココアを飲む習慣がヨーロッパの有産階級に普及し、それとともに喫茶店文化ができ、喫茶店を中心に政治について論じる空間ができたとの考察が面白いです。

ハーバーマスやカントにとって国家や法は究極的に道徳によって基礎づけられているという解釈をとっている、と佐藤は理解している。

プロテスタントの世界で「善」とされていたことが、カトリックの見方では「悪」となってしまうのがとても興味深いです。

プロテスタントから見れば、ルター、カルバンは英雄ですが、カトリックから見れば極悪人です。

日本の外交官が、ロシアで(恐らくはヨーロッパ全域で)良好な人脈を構築できない要因の一つが、教養の不足にあります。

国家とは、学術的に見るならば想像の政治的共同体、すなわち、人為的産物であることに間違いありません。

自由主義的保守主義というのが、私の基本的な考え方です。

シモーヌ・ベイユのように苦悩とは物理的にも共有しなくてはならない。

苦難を頭だけで理解するというのでは不十分で、身をもって共有することが不可欠というのがベイユの思想です。

北朝鮮のような国との交渉では、諜報チャネルを用いた「密室外交」がまさに必要なのです。

私自身が『太平記』の中でいちばん感情移入できるのは僧侶たちです。

足利義満は、明という超大国に日本が吞み込まれてしまわないようにするために、・・・

『太平記』の中で行動規範として引用されているのはすべて中国の古典からです。

チェチェンには「血の掟」という独自の「仇討ちの掟」があります。

プラグマティズムの考え方・・・・・つまり、人間の理性は同じなのだから、十分な時間と条件さえあれば、誰もが共通の結論を見出すことがきるという了解があります。

ナチズムがドイツ人の病理現象であったということについては、ほとんどの知識人の間で共通認識が得られています。

ヒトラーはルターを崇拝していました。

カント的アプローチを用いた方がナショナリズムの欠陥をより的確に説明することができます。

旧約聖書に書かれているユダヤ人の知恵が役に立つかということを実感しました。

イスラーム世界では、ムハンマドがネコをたいへんに愛したという伝承が多く残されているので、・・・

立川流を押さえておけば、日本の新興宗教やカルト集団の土壌を理解することができると思う。

人間の活動において、道具は決定的に重要である。

物事を考察するときに方法論は死活的に重要である。方法論が異なると、同じ出来事が全く異なった姿に見えてくる。

資本主義システムの強さは、その強靭な生き残り能力にある。

ナショナリズムには、「自民族の受けた痛みについては敏感だが、他民族に与えた痛みには鈍感である」という非合理的な認識構造が存在する。

ユダヤ・キリスト教的な直線的時間理解、要するに初めがあって、終わりがあるという構造を持っている。

ルターには狂気に近いものがある。ヒトラーが最も尊敬していた偉人はルターで、・・・

韓国ではイエス教と言うのに対し、北朝鮮ではキリスト教という傾向が強い。

韓国のクリスチャンの多くは、朝鮮戦争で北から逃れてきた人々である。

自己の安楽、家族の利益を超えたところで、日本国家について考える幹部外交官がいないと国家は滅びる。

規則というものは、それを破るような現実があるから制定されるというのは神学的理解だ。

フーコーによれば、監獄は近代になってから生まれた制度で、近代の軍隊も病院も学校も向上も役所も、構造は監獄と同じだという。

官僚による「世直し」は、国家の暴力的機能を強化する傾向にあることを忘れてはいけない。

2017年9月 5日 (火)

松本佐保『熱狂する「神の国」アメリカ 大統領とキリスト教』文春新書

プロテスタントはいくつもの宗派に分裂しているため、アメリカ国内の宗派としては、カトリックが最大規模であり、また最大の浮動票で、カトリックを制する者が大統領選で勝利するとまでいわれている。

ヒスパニックとは、メキシコやキューバなどの隣接のスペイン語を母語とするラテン・アメリカ諸国出身でアメリカに移民した人々、あるいはその子孫を総称

原理主義という言葉は聖書に書かれていることを絶対視し、この通りに実行することが真の救いの道であり、正しいキリスト教徒であると信じる態度で、元々はキリスト教からおこっている。

カトリックとプロテスタントの大きな違いに、聖書と聖職者に対する態度がある。この違いが歴史的に、両派を分け隔ててきた大きな要因の一つである。

「福音」とはGood Newsのことで、イエス・キリストの言葉を意味する。

プロテスタントは大きく主流派と福音派に分かれて、それぞれがまた複数の派を抱えているのに対し、カトリックにはローマ教皇を頂点とする高度に組織化されたグローバルなネットワークがあるからだ。

ティーパーティーは保守とはいえ孤立主義的で対外介入戦争を嫌う、アメリカの伝統的な外交的態度モンロー主義の傾向があるので、中東などへの介入戦争には消極的である。

バチカンは1929年にラテラノ条約でイタリア王国と和解してバチカン市国と・・・・・

ヨハネの黙示録に記されている千年王国論で、世界の終わりにキリストによって最後の審判が下される前に悔い改めれば千年王国、つまりは「神の王国」に入れるという考え方である。

1917年のバルフォア宣言は、パレスティナにアラブ人国家を創立すると約束したフサイン=マクマホン協定と矛盾して、イギリスの第一次世界大戦中の三枚舌外交の創立を約束していたのである。

2017年8月30日 (水)

岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』新潮新書

ただ反省させることを繰り返すと、ますます内面の問題が分からなくなるばかりか、かえって大きな犯罪を起こすリスクを高めてしまいます。

最初に頭に浮かんでくる思いや感情は、たいていは「後悔」なのです。

自分自身が内面と向き合った結果として、自然と心の底から湧きあがってくる「罪の意識」こそ、本当の「反省」なのです。

受刑者が自分の問題と向き合うためには、支援者の存在が不可欠です。

アルコールやギャンブル、セックスや違法薬物である大麻や覚醒剤にはまり込んでいく背景には、人に頼れなくなった過去があるのです。

日本の少年や成人による殺人事件の件数は、先進国のなかでは断トツに低く、一向に増加していません。

日本人は「人を殺さないこと」で有名なのです。

2017年8月17日 (木)

大貫隆『聖書の読み方』岩波新書

聖書には非科学的なことがたくさん書いてある。

信仰者の使う言語は、非信仰者にとっては、理解困難な「外国語」なのである。

聖書全体があくまで神を主語として話が進む書物・・・・・

古典の本文そのものには近づかない。古典は本気で読まれることが少ないのである。

創世記の冒頭には、相異なる天地創造の物語が二つ並んでいるわけである。

サタンは旧約聖書ではヨブ記に初めて登場する。しかし、そこでのサタンはまだ悪の権化ではない。

旧新約聖書は、・・・・・その文書配列の順番からして、初読者にはきわめて不親切な書物なのである。単純に初めから終りに向かって通読する試みは、やめた方がよい。

ルターはヘブライ人への手紙、ヤコブの手紙、ユダの手紙、ヨハネの黙示録の四書を価値の低い「付録」として扱い、巻末に並べている。

聖書の文書配列は、・・・・・誰もが文句なく認めるような目次は最初から存在しなかったわけである。

旧約聖書も新約聖書も、礼拝の場で使うことを主たる目的として編まれた。

実際の処刑に先立ってペトロは、くりかえしイエスを知らないと否認していた。

イエスの死後の数十年間は、イエスの発言、行動、最後は口頭で言い伝えられた。

グノーシス主義とは人間即神也の思想なのである。

2017年7月17日 (月)

呉智英・宮崎哲弥『放談の王道』時事通信社

現行少年法は子供要保護観念-パターナリズムと教育刑主義という優れて近代的な理念の上に成り立っていて、子供は未熟で大人によって保護されるべき存在であり、かつ刑罰は応報ではなく教化でなければならないという「当為」が前提となっています。

私は仏教徒としてあらゆる本質主義を否定しますから、・・・・・

サンデルやマッキンタイアのようなコミュニタリアンの人格理念によれば、人生は一巻の物語のように一貫したものだということになります。

ポパーは、科学の発展とは真理の発見の積み重ねであり、全体としては一貫した体系が連綿と続いていくと主張したわけだよね。ところがクーンは、科学の進歩といっても、その成果はそれぞれ一本の串にささったいくつもの団子のようなもので、相互のつながりは何もない、ということを言っている。

ジャーナリズムに何か原理があるとすれば、それは商業主義しかないと思っているわけ。

日本人にとっての仏教っていうのは、ほとんど荘子思想なんだってのは断言できる。

やっぱり儒教っていうのは、人類の存続を前提にしているんですよね。

キリスト教では、すべての人命は神の賜物であると考えられていて、だからこそ人口中絶にも「安楽」死にも死刑制度にも批判的なんですね。

宗教というのは放っておくと必ず、他の宗教、他の信念体系と戦いを始めますね。

朱子学だの陽明学だのっていうのはかなり、仏教からぱくってるんだよ。

2017年7月 7日 (金)

藤和彦『国益から見たロシア入門 知られざる親日大国はアジアをめざす』PHP新書

日本とロシアは文明の「かたち」こそは異なるが、両国の国民性には意外なほど共通点が多い。

「ジャポニズム」とは、19世紀後半の欧州において一世を風靡した、日本美術への熱中のことを指す。

「東方を支配する」という意味のウラジオストク

現在のロシアの保守派が評価するのは、・・・・・ロシア正教を守ったスターリンである。

ロシア語には「安全」という言葉はなく、「危険がない」という表現しかない。

2017年6月28日 (水)

竹内洋『社会学の名著30』ちくま新書

結婚式で司会者が熱烈な恋愛結婚という紹介をしても、大概のところは階級や学歴の似たもの同士なのである。

絶対と断定ほど社会学から遠いものはないからである。

どんな学問も次の二つのことをめざさなければならない。「明快であること、そして当たり前でないこと」である。

生産諸力の発展が歴史の原動力であるという史的唯物論の精髄

人は『生まれながらに』できるだけ多くの貨幣を得ようと願うものではなくて、むしろ簡素に生活する、つまり、習慣としてきた生活をつづけ、それに必要なものを手に入れることだけを願うにすぎない。

プロテスタントの関心はあくまで霊魂の救済であったから、・・・

大人がなにかを隠さうとしてゐるといふ事実だけは、子供はちやんと見てとる。・・・・・教へようとしたものを学ばない。かれらが見せようとも教へようともしないところで、かへつて子供はなにものかを学びとる(福田恆存)。

2017年6月26日 (月)

佐藤優『読書の技法』東洋経済新報社

神学を学ぶには、哲学の知識が必要になる。シュライエルマッハーも言うように、神学はその時代の哲学の衣装を着ており、その時代時代の哲学の言葉を借りて概念を表す。

中世の図書館では、本は学生に1冊しか貸してくれず、その本をすべて筆写し終わるか、完全に暗唱するまでは、次を貸してくれなかった。

読者が知りたいと思う分野の基本書は、3冊もしくは5冊購入するべきである。・・・・・その理由は、定義や見解が異なる場合、多数決をすればよいからだ。

鳥は卵から孵化していちばん初めに見たものを自分と同じ動物と考える。

学術的な真理は本来、多数決とはなじまない。

真ん中くらいというのは、実はその本のいちばん弱い部分なのである。

否定神学とは「~である」と積極的に定義することを避け、「~でもなければ、~でもない」という形で消極的に事柄を表現する技法だ。

民族て問題を理解する場合、経済合理性や人権という切り口から問題を解明しようとしてもそれはあまり意味がなく、特定の人間集団が持つ神話・記憶・象徴といった非合理的に見える現象の内在的論理を解明することが不可欠であるということをスミスは言いたいのである。

過激になったナショナリズムを沈静化することは至難の業である。

ノート作りのいちばんの天才はレーニンである。

知は一定の熟成期間を置いた後にしか身につかない。

民族について、学界では、言語、地理的共通性などの歴史を持つ客観的基準を重視する原初主義と、近代以降の自己意識を重視し民族という概念が流動的であるとする道具主義対立している。アカデミズムでは原初主義が主流だが、マスメディアでの報道は道具主義に基づいている。

教科書とは、教師がいる環境を想定しているので、説明不足が許されるのである。

人間は嫌いで意味がないことは記憶しない。

客観的なデータを記憶しておくことが、外交官や新聞記者になった場合、いかに役に立つかという話をした。

ウェストファリア条約で築かれた国際社会の基本的な「ゲームのルール」は今日でも有効なのだ。

言語には個性がある。ただし、ある人がまったく自分の感覚、感情、気分などの内的体験を記述するような私的言語は、他人に理解されないので、言語としての機能を果たさない。それだから、ウィトゲンシュタインは私的言語を否定した。

日本が北朝鮮との間で対話を回復し、あの体制の中にも必ずある、優れた知性と接触する可能性を探るのだ。その作業が拉致問題の解決に向けた環境を整備するのである。

夜は悪魔の支配する時間なので、夜中に原稿を書いてはいけない。夜中に原稿を書くことを余儀なくされた場合、翌日太陽の光の下でもう一度その原稿を読み直してみること(ディートリヒ・ボンヘッファー)。

ファシズムは、結局、国民に排外主義という病理をもたらす。

難しい事柄について、水準を落とさずに、わかりやすく話す・・・

2017年5月29日 (月)

フィリップ・デルヴス・ブロートン『ハーバードビジネススクール 不幸な人間の製造工場』日経BP社

会計学においては、規則に固執することよりも常識を働かせることのほうがはるかに重要なのだ。

中国のような土地でビジネスをしてみるまでは、それについていくらもったいつけて話し合ってみても無駄。

経験だけが唯一、信用するに足る保守的な測定基準で、それ以外は空虚な数学的思考の所産なのだ。

ミヒール・デサイ教授が、自分の母親に説明できないなら、それはちゃんとファイナンスを理解していないことだと言っていた。

ある人物がどういう人間かはその人の銀行取引明細書とクレジットカードの使用明細書見ればわかる。

トヨタは何ごとをも取るに足りないこととして片づけなかったために、あれほどの成功をおさめたのである。

ビジネスは、潜在的に不実で嘘つきで泥棒根性を持った人間の営みであるという事実から逃れることができない。

代替案のない決定は、破れかぶれのギャンブラーの一投に等しい。たとえそれがどれほど考え抜かれたものであってもだ。

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