末近浩太『イスラーム主義ーもう一つの近代を構想する』岩波新書
・・・・・その一因には、イスラームがカトリックの教会組織(とその頂点に君臨した教皇)のような宗教的な権力・権威のヒエラルキーを築いてこなかったことがある。
スンナ派とシーア派の違いは、ウンマのあり方と、その根拠となる歴史をめぐる認識にある。
スンナとは、アラビア語で慣行や範例の意である。
・・・・・その一因には、イスラームがカトリックの教会組織(とその頂点に君臨した教皇)のような宗教的な権力・権威のヒエラルキーを築いてこなかったことがある。
スンナ派とシーア派の違いは、ウンマのあり方と、その根拠となる歴史をめぐる認識にある。
スンナとは、アラビア語で慣行や範例の意である。
実存主義とは、実存(=「ある」、「いる」という事実)は本質に先立つ。本質は生きているなかで個人がつくりあげていけばいい、とする考え方です。
人生に期待するのではなく、人生の期待に応える必要がある。
肝心なのは、何を成せたかであり、生きた時間の長短は問題ではない。
狩猟の旅に出れば、人の死を悼んでいるどころではなくなります。獲物を捕らえることに前向きになっているので、ある種、気はまぎれます。
親から生んでもらったこの身体をお借りしているんだ。
いつ死んでもおかしくないという覚悟のもとで最後までしっかり生きる。
葬式や遺骨などには関与しないで、自分たちにとって大切なことを続けなさい。
ヨーガという言葉には「精神と肉体を制御・統一してブラフマンと結合する」という意味があるのです。
スカーフは無数にあるイスラーム法の規定の一部であり、シンボルなどではありません。
中東の多くの人は遊牧民ですから、・・・・・
イスラームは商業文化ですね。
日本から見ると、シリア人難民はサウジアラビアとかクウェートとか、お金がたくさんある同胞の国へなぜ向かわないのかと、不思議に思うかもしれません。中東諸国の多くは植民地から独立を果たしてつくられた国家ですが、独立を進めたエリートたちは、西洋の教育を受け、非イスラーム的領域国民国家システムの中で育った人たちです。ですからシリアのムスリムたちはそこへ行けないのです。富める同胞の国に行っても信仰生活の自由が得られないと分かっている。
ISは身内の中にいる背教者と戦うことを優先しています。
ヨーロッパはもうイスラエルを見捨てる方向に舵をきっています。
良くも悪くも自国民を守るのが、欧米のナショナリズムです。
ムスリムになるには、アッラーを信ずることだけで十分なのです。
イスラームの教えでは、自殺は永遠に火獄で焼かれるほどの大罪です。
ムスリム同士の戦闘はそもそもジハードにはなりません。
「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対しては、それは神が創った法だからだとしか言いようがありません。
アッラーは慈悲深いので、善のほうをたくさん勘定してくれるのです。
いくつか例外はありますけれども、基本的には、ムスリムにとってジハードで死ぬことはいちばんよい死に方だとされています。
イスラームの教えで最初に知るべきことは、イスラームを教えることができるのは預言者ムハンマドだけだということです。
イスラームの完全な理解は預言者ムハンマドだけにしかありえません。
神と人間の間を仲介する存在を認めないスンナ派の考えでは、預言者ムハンマド以降には神からの新たな啓示を伝える使徒や無謬の聖者は存在しません。
神の助けなしに何かができると思うのは人間の思い上がりです。
イスラーム法は子供の玩具であれば人形を合法化しています。
カアバ神殿・・・内部ではどこを向いて礼拝しても構わない
イスラームはムハンマドが開いた宗教ではなく、アーダム以来の預言者の教えです。
イスラームの教えでは、審判は復活の日の最後の審判の一回だけだということです。
イスラーム法は属人法であり、異教徒には課されませんが、・・・・・
イスラーム法は属人法であり、居住地のいかんにかかわらず全てのムスリムに遵守が課されます。
若き日のイエス・キリストが修行したと考えられているエッセネ派・・・・・
ヨハネの名が冠された文書には共通点がある。過剰なほどの神秘主義。
カトリックという教団は、神秘主義を弾圧した。神父の言うことだけを信じよ、というのがカトリックだ。
はっきり言って、カトリックは聖書を民衆から遠ざけていた。
カトリックは民衆に、ものを考えないほうが幸福になれると説いた。
ダ・ヴィンチは神秘主義者だった。彼がシオン修道会という秘密結社の総長であったこと・・・・・
イエスの活動と処刑は、どこにでもあるような些末な事件として、ヨセフスによって完全に無視されてしまったのだろう。そのヨセフスが、パプテスマのヨハネについては、広い地域で信者を集めている教団の指導者として、歴史にその名を記している。
ニュートンは、「プリンキピア」を世に出した直後に、三位一体を否定する論文を書いている。
ヨーロッパという、本来、人権や民主主義や自由を重視するはずの国で、保護されるべき「難民」の人たちの属性が「不法移民」という形にすり替えられ、まるで、自由も民主主義も人権も考慮する価値がないかのような存在として扱われようとしているのです。
オランダはアメリカへの移民が多いという歴史的な背景もあり、・・・・・
イスラームでは本来、他者の信仰が正しいか間違っているかを人間が決めることはできません。
「啓蒙」とは「くらきをあつらむ」つまり「暗い世界を理性の光で照らす」というのがその語源です。
ムスリムたちが本当に必要としているのは、イスラームの道徳をわきまえない為政者に仕える御用イマーム(イスラーム指導者)ではなく、西欧的な主権国家の思惑というものを忖度せず、純粋にイスラームの立場に立って「何が正しく、何が邪悪なのか」ということを宣言できるリーダー≒カリフの存在がもたらす秩序だからです。
カリフ制はトルコ共和国成立の翌年一九二四年に廃止されています。
そのアサドを軍事的に支え続けたのはロシア、イランで、反政府勢力のバックにはトルコ、クルドのバックにはアメリカがいます。
ユネスコの精神というのは戦争の惨禍を二度と繰り返さないために教育や文化を大切にすることを訴えるものです。
コンテラルダメージ(副次的な犠牲)
国連がなぜ役に立たないかというのは、そういう主権国家の集合体だからです。
トルコは、中東においてオスマン帝国以来、高度な行政システムをもつ限られた国です。
軍というのは文民による統制ができなくなると、必ず、自律的、つまり軍隊という強固な組織の中でしか通用しない行動原理で動き始めます。
沖縄には仏教が土着していない。仏教が入る前の日本人の宗教意識が生きている。
増田勝実によると、日本の古代律令制では、立春から秋分までの間は、原則として死刑が執行されないことになっていた。
トーテミズムとは、部族や氏族が、特定の動物(植物・鉱物であることもある)を自分たちの血縁とみなし、その動物を神聖視することである。
レヴィ=ストロースは、ジャン=ジャック=ルソーを、人類学の先駆者として評価しているが、・・・・・
日本の神は、不浄や穢れをきらう。
「世俗化」とは、本来の宗教がもっていた超越性や彼岸性を否定し、此岸性や現世主義を強調する、ある種の宗教意識である。
法然は、・・・・・人間とは煩悩的存在であることを当然の前提とした。人間には、自らの力でどうすることもできない欲望がうずまいていることを、率直にみとめた。
法然にあっては、煩悩は、目鼻と同じように、本来、人間に備わっているものである。我が力で、我が煩悩を、思いのままにできるとするのは、人間の思いあがりである。
天照大御神は、決して全智全能の神ではなく、悪神の荒れ狂うときは無力である。
浄土真宗にあっては、修行は意味をもたない。修行には、なんらの救済上の役割は期待されていない。むしろ、他力の信心を妨げる雑行として否定されている。
イスラームの教えでは、自殺は永遠に火獄で焼かれるほどの大罪です。
イスラーム法とは何か。あえて一言でいえば、それは「神の定めた掟」です。
アッラーは慈悲深いので、善のほうをたくさん勘定してくれるのです。
巡礼に行くことによって、これまでのすべての罪がなくなってしまうとされています。
イスラームの天国の門はあまり狭くはないです。アッラーを信じていれば全員天国に入れるというのが基本です。
死者の埋葬は土葬と決まっています。
ヨーロッパで政教分離の観念が生まれたのは、王権とキリスト教(特にローマ教会)との葛藤、キリスト教内部でのカトリックとプロテスタントの宗派間対立を調停するためでした。
ムスリムはムハンマドに最高の敬意をいだいています。
ムスリム全体の運命を決めるジハードを命じることができるのはカリフだけです。
イスラーム世界にカリフは二人いてはいけないのです。
マッカの大神殿にもやはり何もありません。この、何もないというのがイスラームの特徴なんです。
イスラームにとって重要なことは、従うということです。
イラクとシリアの旧支配政党であるバアス党・・・・・
インドに入ってきたイスラム教の神秘主義であるスーフィズム・・・・・
『バガヴァッド・ギータ―』・・・・・ヒンドゥー教徒の守るべき行為の宗教的規範を説く基本的な聖典であり、・・・・・
・・・・・薄暗い寺院の片隅で、いったい、だれに祈るのか。目を開け、そして、あなたの前に神はいないことを悟れ。荒地を耕す農夫のそばに、石を砕く道路工夫のかたわらにこそ、神はまします(タゴール)。
事実、今日存在するカースト制度は、アートマン(我)と同一視されるブラフマン(梵=神)が万物のなかに遍在するという、ヒンドゥー教の根本教義と明らかに矛盾している。
われわれ人間は、すべて、欲望、怒り、恐怖、悲しみ、不安、飢え、労働などによって支配されているのに、なぜそのうえに、さらにカーストによる区別までも受けなければならないのか。
知識と瞑想を強調する「ウパニシャッド」
ブラフマンやアートマンを説く「ウパニシャッド」
「生きているかぎり楽をせよ。借金をしてでも楽をせよ。一度死んでしまえば、もうそれっきりなのだから」
仏教に対する「ウパニシャッド」の影響は明白であるが、しかしブッダは「ウパニシャッド」の思想を新たな方向に発展させたのである。
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